西施ものがたり
西施ものがたり
西施に関連した詩 |
李白 |
蘇台覧古 |
旧苑荒台楊柳新、
菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、
曾照呉王宮裏人。 |
旧苑 荒台 楊柳新たなり、
菱歌の清唱 春に勝【た】えず。
只 今は惟だ西江の月有り、
曾て照らす 呉王宮裏の人。 |
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越中覧古 |
越王勾践破呉帰、
義士還家尽錦衣。
宮女如花満春殿、
只今惟有鷓鴣飛。 |
越王勾践 呉を破りて帰り、
義士 家に還るに尽く錦衣す。
宮女は花の如く春殿に満ち、
只今は惟だ鷓鴣の飛ぶ有るのみ。 |
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採蓮曲 |
若耶渓傍採蓮女、笑隔荷花共人語。
日照新粧水底明、風飄香袖空中挙。
岸上誰家遊冶郎、三三五五映垂楊。
紫留嘶入落花去、見此踟厨空断腸。 |
若耶渓の傍 採蓮の女、
笑って荷花を隔てて人と共に語る。
日は新粧を照らして水底明らかに、
風は香袖を飄して空中に挙がる。
岸上 誰が家の遊冶郎、
三三、五五、垂楊に映ず。
紫留 落花に嘶きて入りて去るも、
此れを見て踟?して空しく断腸。 |
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緑水曲 |
緑水明秋日、
南湖採白蘋。
荷花嬌欲語、
愁殺蕩舟人。 |
?水秋日に明らかに
南湖 白蘋を採る
荷花 嬌として語らんと欲す
愁殺す舟を蕩【うご】かすの人。 |
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越女詞 |
越女詞五首其一
長干呉兒女,
眉目艶新月。
屐上足如霜,
不著鴉頭襪。
其二
呉兒多白皙,
好為蕩舟劇。
賣眼擲春心,
折花調行客。
其三
耶溪採蓮女,
見客棹歌迴。
笑入荷花去,
佯羞不出來。
其四
東陽素足女,
會稽素舸郎。
相看月未墮,
白地斷肝腸。
其五
鏡湖水如月,
耶溪女似雪。
新妝蕩新波,
光景兩奇絶。 |
(越女詞,五首其の一)
長干の呉兒女,
眉目 新月より艶なり。
屐上【げきじょう】足 霜の如し,
鴉頭の襪を著けず。
(越女の詞 其の二)
呉児 多くは白皙【はくせき】、
好んで 蕩舟の劇れを為す。
眼を売って 春心を擲【なげう】ち、
花を折って 行客【こうかく】を調す。
(越女の詞,五首の三【《越中書》見る所なり。】)
耶渓 採蓮の女、
客を見て 棹歌して迴る。
笑って荷花に入って去り、
佯【いつわ】り羞【はじ】て 出で来らず。
(越女の詞,五首の四)
東陽 素足の女,
会稽 素舸の郎。
相看て 月 末だ墜ちず,
白地に 肝腸を断つ。
(越女の詞,五首の五)
鏡湖 水 如月のごとく,
耶溪 女 雪のごとし。
新妝 新波に蕩ゆらめき,
光景 兩つながら奇絶。 |
本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。
現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施→西施と呼ばれるようになった。
紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。
この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。
呉にとってこの良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。
十八史略には、西施の美の絶世ぶりをしめすエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となって胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と四字熟語で表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよという謙遜の意味に使用されることが多い。
このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏がくれば、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王 夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は夢幻の悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまった。傾国が始まったのである。
策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。
その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。
中国では古くから、朝食をとったあと今でいうオープンカフェのようなところでお茶の実ながら、講談師が語る講談を聞く習慣があり、そこでは、悲劇はさらに誇張された悲劇に、武勇はさらに勇壮なものに脚色されていく。面白おかしく変化し、伝説となっていく。西施も講談の格好の題材とされた。
この講談師の種本が中国のよく古本屋で見かけることがある。
中国四大美人の一人と呼ばれる一方で、俗説では絶世の美女である彼女にも一点欠点があったともいわれており、それが西施の場合は大根足であったとされ、常にすその長い衣が欠かせなかったといわれている。逆に四大美女としての画題となると、彼女が川で足を出して洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったという俗説から「沈魚美人」とあてられる。
奴隷制の時代である、一握りの貴族こそが人であり、残りの人間は、道具である。だから、下層身分で生まれたものは、一芸か、美貌こそが一家を富ませる最大の武器であり、王や朝廷からお声がかかるのは一家の誉だったのである。したがって、悲劇ではなく、下層階級からすれば、憧れということでもある。ものがたりには、悲劇とか、策略とか、艶香妖術ということと憧れというこのふり幅を大きくしていく講談の面白さである。
巻24 越女詞五首其一(卷二五(二)一四九七)
長干呉兒女,眉目艶新月。
屐上足如霜,不著鴉頭襪。
巻24 越女詞五首其二(卷二五(二)一四九八)
呉兒多白皙,好為蕩舟劇。
賣眼擲春心,折花調行客。
巻24 越女詞五首其三(卷二五(二)一四九八)
【《越中書》所見也。】
耶溪採蓮女,見客棹歌迴。
笑入荷花去,佯羞不出來。
巻24 越女詞五首其四(卷二五(二)一四九九)
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。
巻24 越女詞五首其五(卷二五(二)一四九九)
鏡湖水如月,耶溪女似雪。
新妝蕩新波,光景兩奇絶。
越女詞,五首之一
1. (越の女は細身の美人で、この地方の女の風俗を映し出して詠う。)
2. 【《越中書》所見也。】(《越中書》に見る所なり。)
越 現浙江省方面。戦国時代 越の国があった。
長干呉兒女、眉目艶新月。
長干の色街に住む呉の妓女らは容貌絶麗であり、眉と目が新月よりもなまめかしく、あでやかである。
3. 長干 長干は今の南京の南にある小さな町。出稼ぎの商人たちの居住した町。江蘇省南京の南にある町。水運によって開けた町で、色町もあった。そのことを指す。江南通志に、長千里は江?府城の南五里に在り。
100-#3 《長干行,二首之一 #3》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <100-#3> T李白詩1274 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4918
101 《長干行,二首之二 -#3》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <103> T李白詩1277 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4933
4. 呉児 呉は今の江蘇省一帯。児は、大都会のあか抜けている雰囲気を示す。江戸吉原の芸妓にあたる。
李白『對酒』
蒲萄酒,金?羅,??十五細馬?。
青黛畫眉紅錦靴,道字不正嬌唱歌。
玳瑁筵中懷裡醉,芙蓉帳底奈君何。
115 《對酒》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <115> T李白詩1295 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5023
5. 艶新月 新月後最初に出る月であったので、「朏(みかづき・ひ)」という文字で表されることもある。三日月には異称が多く、初月(ういづき)・若月(わかづき)・眉月(まゆづき)など(・・他多数)とも呼ばれる。異称の多くは最初に見える月だということや、その形からの連想である。もっとも印象深い月である。その様な眉月よりも女の眉は艶やかだということ。梁の武帝の詩に、容色玉耀眉月の如し。
屐上足如霜、不着鴉頭襪。
そして、靴のうえの足は霜のように白く、もう「鴉頭」という名の足袋を履いていなくてもうす絹をつけように素足が美しい、それが見る人の心を悩ませるのである。
6. 履上 木靴に下駄の歯をつけたようなもの。女用は先が丸く、男用は角だった。
晉書五行志に「初めて屐を作る者、婦人は頭圓、男子は頭方、圓は順の義、男女を別つ所以なり。太康の初に至って、婦人の屐、乃ち頭方、男と別つ無し。」とあって、「則ち古えの婦人は知る、亦た屐を着す也。」 とある。
7. 鴉頭襪 あとうべつ 襪はくつした。纏足用に巻きつけた靴下のようなもの。女の子は4,5歳になると纏足をした。黒い帯状のものを巻きつけて大きくならないようにしたもの。カラスの首から頭のほっそりと引き締まったラインのことを指す。足が小さいほど身売りの値段に差がついた。古来南京の色町では行われていたが、流行先進地であった端を発し、晩唐以降大流行した。清朝から禁止令が出ても構わず、続けられて現中国まで実在した。
越女詞,五首之二
1.(越の女は細身の美人で、この地方の船頭屋の娼妓娘の風俗を映し出して詠う。)
2. 越(えつ、紀元前600年頃 - 紀元前334年)は、春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国。首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたと言われる。越は楚、呉など長江文明を築いた流れを汲むと考えられており、稲作や銅の生成で栄えた。
隣国の呉とたびたび抗争し、紀元前515年、楚に遠征した呉王闔閭の留守を狙って越王の允常[3]は呉を攻め、呉領内を荒らしまわった。更に混乱に乗じて実弟の公子夫概が兄に対して謀反を起こすなど、闔閭の立場が大いに揺らぐ事となり闔閭は越を憎んだ。やがて紀元前496年に允常が死去して、太子の勾践が父の後を継いで即位した。その報せを受けた闔閭が越を攻めたが敗死した。
闔閭の後を継いだ次男の夫差が報復の準備を整えつつある事を憂えた勾践は、先手を打って仕掛けたが逆に大敗し、越は滅亡寸前にまでなったが勾践が謝罪したために滅亡は免れる。謝罪後、勾践は呉で使用人として労働を命じられたりしたが、范蠡の助けを借り、越は呉への復讐心から着実に力を蓄えてゆき、呉が伍子胥を殺害し夫差が中原に諸侯を集めて会盟を結びに行っている隙を突いて呉を攻め、呉に大打撃を与え、紀元前473年には呉を滅ぼした。呉を滅ぼした勾践は、越の都を現在の山東省の琅邪に遷し(江蘇省連雲港との説もある)、更に諸侯と会盟して中原の覇者となった。
勾践は讒言によって腹心の文種を粛清した。これを聞いた范蠡は勾践の猜疑心を知り尽くしていたために、既に斉に逃亡しており、陶朱公と称して富豪となっていた。紀元前465年、勾践は死去した。
呉兒多白皙,好爲蕩舟劇。
呉の娘女らは、いずれも色白が多く、好んで舟をゆさぶることで、戯れて男の目を引き、遊びをする。
3. 呉児 呉は今の江蘇省一帯。児は、大都会のあか抜けている雰囲気を示す。江戸吉原の芸妓にあたる。
4. 白哲 皮膚の白いこと。
5. 蕩舟 舟をゆさぶってひきつける。
6. 劇 たわむれ。誘い込む。
賣眼擲春心,折花調行客。
色目をつかって、もえたつ色好みの春心をなげつけてその気にさせるのだ、花を折りとって旅人をからかう。
7. 売眼 色目をつかう、ウィンクする。
8. 擲 なげつける。
9. 春心 色好みの心。
10. 調 からかう。「ちょっと寄って遊んでいかない?」とウィンクしたり、花を折って投げつけたり、色町での誘い。これだけの短い句の中で見事に表現している。
越女詞,五首之三【《越中書》所見也。】
1.(その二の詩と真逆のはにかんだ採蓮の娘たちを詠う)
耶溪採蓮女,見客棹歌迴。
若耶渓頭でハスの実をつむ娘たちは、旅人を見つけると舟歌を唄いながら舟をあちらへこいで遠ざかる。
2. 耶渓 若耶渓の略。若耶溪 現在、平水江という名の川である。大禹陵前の湖水から会稽山の東側を流れる平水江から引いた運河があり、西側の南池江と繋がっている。それが、嘗て若耶溪と称されていた川である。
3. 採蓮 ハスの実をつみとる。
4. 客 たびびと。
5. 棹歌 舟うた。
6. 迴 かえる。 迴・巡るだと行ったり来たりする。
李白 『採蓮曲』(採蓮のおんなを男目線で詠う)
若耶溪傍採蓮女,笑隔荷花共人語。
日照新妝水底明,風飄香袂空中舉。
岸上誰家遊冶郎,三三五五映垂楊。
紫?嘶入落花去,見此踟?空斷腸。
若耶【じゃくや】渓の傍り 採蓮の女、笑って荷花【かか】を隔てて人と共に語る。
日は新粧を照らして水底明らかに、風は香袖を飄して空中に挙がる。
岸上 誰が家の遊冶郎【ゆうやろう】ぞ、三三、五五、垂楊に映ず。
紫?【しりゅう】落花に嘶【いなな】きて入りて去り、此れを見て踟?【ちちゅう】して空しく断腸。
99 《採蓮曲》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <99> T李白詩1271 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4903 がある。
笑入荷花去,佯羞不出來。
そうして、にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうに、思わせぶりに、しなを作って、なかなか出て来ない。
7. 荷花 ハスの花。
8. 佯羞 はずかしそうに、思わせぶりに、しなを作って。
越女詞 五首 其四
1. (謝靈運の『東陽溪中贈答二首』の詩を現地で体験して詠う。)
東陽素足女,會稽素舸郎。
東陽生まれと称する素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
2. 東陽 いまの浙江省東陽県。会稽山脈の南方にある。○素足女 この地方は美人の多い子で有名。素足の女は、楚の国の王を籠絡した女性西施が其ふっくらとした艶的の魅力により語の句に警告させその出発殿のすあしのおんなであった。○会稽 いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。
3. 素舸 白木の舟。
4. 郎 若い男。
5. 謝靈運 *385〜433年 南朝の宋の詩人。
『東陽溪中贈答二首』
之一
可憐誰家婦。?流洗素足。
明月在雲間。迢迢不可得。
東陽の谿中 答え贈る の一
可憐【かれん】なるは 誰【た】が家の 婦【おんな】ぞ,?流【ろくりゅう】に 素足を 洗ふ。
明月 雲間に在り,迢迢【ちょうちょう】として 得 可【べ】からず。
之二
可憐誰家郎。?流乘素舸。
但問情若為。月就雲中墮。
憐れむ 可【べ】し 誰【た】が家の 郎【ろう】ぞ,?流【ろくりゅう】に 素舸【こぶね】に 乘る。
但 問う 情 若為【いか】にと,月は雲中に就いて墮【お】つ。
東陽溪中贈答二首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<40#1>U李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083
相看月未墮,白地斷肝腸。
名残月が沈まないので互いに語り合い、見つめ合っているのだ、それは、あからさまに、心も体も別れることが分かっているから名残惜しんでいるのさ。
6. 月未墮 名残月、二十日過ぎの月をいう。
7. 白地 口語の「平白地」の略。わけもなく、いわれなく。あからさま。
8. 肝腸 きもとはらわた
○韻 郎、腸。
越女詞,五首之五
1. (若耶渓から流れてくる鏡湖の水は澄みきって真白な月を映す、若耶溪の娘たちも色白であると詠う)越女の詞,五首の五
2. 関係地;
若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪
鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖
鏡湖水如月,耶溪女似雪。
鏡湖は水は澄み切っていて月が映ると月光の鏡の中の美人の顏をうつしているようだ,若耶溪にあつまったむすめたちも雪のように色白である。
3. 鏡湖 浙江省の会稽・山陰両県のさかいにある湖。李白が朝廷に上がって間もなく賀知章が官を辞して、玄宗皇帝から鏡湖を賜わった。長く宮仕えをしたご褒美である。
鏡湖:
浙江省紹興県の南。鑑湖、長湖、太湖、慶湖ともいう。開元中に秘書監賀知章に鏡湖溪一曲を賜う。賀監湖。宋代に田地となる。
安徽省の撫湖市には有名な鏡湖があるが、別のもの。
4. 耶渓 若耶渓の略。若耶溪 現在、平水江という名の川である。大禹陵前の湖水から会稽山の東側を流れる平水江から引いた運河があり、西側の南池江と繋がっている。それが、嘗て若耶溪と称されていた川である。
新妝蕩新波,光景兩奇絶。
初々しい化粧姿は船上でゆれれば、すがすがしい波がうつってゆく,その光景はどちらも比べがたく素晴らしいというだけだ。
5. 蕩 水のゆれうごくさま。
6. 奇絶 すばらしくめずらしい。船上での情事で上で揺れるのと、それによって波が立っていることをいう。