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          陶淵明の詩    責子

80-4 陶淵明 責子


六朝の詩人


陶淵明 .責子


 41歳で官を辞して隠遁生活に入った陶淵明も彼から約200年前の竹林の七賢の影響を受けている。
次に、陶淵明の家族、わが子に対する詩を取り上げる。李白と陶淵明の違いをみよう。その違いはどこから来るのか、考えてみたい。儒教、老荘思想、道教とかかわった人たちがわが子に対してどういう感情でいたのか、詩によってみていこう。

 陶淵明(365〜427年)は長男の命名の由来を詠んだ詩「命子」(子に命)にすでに見られる。そこでは、前半で旧士族である陶氏一族を誇り、子供の健やかな成長を願い、立派な人間になってもらいたいと期待する親の情愛を綴る後半に、陶淵明にとって家族がいかに大きな存在であるかを吐露している。

 陶淵明は六十三年の生涯において官職についたのはわずか数年、しかもいずれの職もみな短期間で止めている。郷里に近い彭沢の令となったのは四十一歳、就任わずか八十余日でその地位をなげうち、「われ五斗の米を得る為に 腰を折るに能わず、拳々として郷里の小人に事えんや」(『晋書』隠逸・陶潜伝)と官僚生活と決別し、田園生活を営んだ。あこがれの田園生活を始めて二・三年、陶淵明は「責子」(子を責めん)を詠んだ。

陶淵明  責子
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責子
白髮被兩鬢,肌膚不復實。
雖有五男兒,總不好紙筆。
阿舒已二八,懶惰故無匹。
阿宣行志學,而不好文術。
雍端年十三,不識六與七。
通子垂九齡,但覓梨與栗。
天運苟如此,且進杯中物。

 わたしはもう白髪が左右の耳にかぶさってきて、肌に色つやがなくなってきた。
五人の男の子がいるけれど、そろいもそろって勉強嫌い。
長男の舒は16歳にもなるというのに怠け者だ。
二男の宣はまもなく15歳で学問を志す年というのに、文章学問が好きでない。
雍と端はともに13歳、6と7を足せばじぶんのとしになることもわからない。
五男の通はもうすぐ9歳になるが梨や栗をねだるばかり。
ああ、これも天が与えた運命だというのか、試練ならば仕方あるまい。


責子
息子をせめる。息子たちのだらしないさまや修養を怠っていることをせめる。 ・子:息子。男子。

白髮被兩鬢、肌膚不復實。
わたしはもう白髪が左右の耳にかぶさってきて、肌に色つやがなくなってきた。
・白髮:しらがが左右両横の髪を覆い被さるような(年齢になり)。皮膚も、もうしっかりしたようではない。 
・白髮:しらが。 ・被:覆い被さる。こうむる。 ・兩鬢:左右両横の耳際の髪の毛。 ・肌膚:はだ。はだえ。皮膚。きふ。 ・不復:もう…でない。二度とは…ない。 ・實:みのり。充実。内容。

雖有五男兒、總不好紙筆。
五人の男の子がいるけれど、そろいもそろって勉強嫌い。 
・雖有:いるとはいっても。あるものの。 ・五男兒:五人の男の子。五人の息子。 ・總:総じて。すべて。 ・不好:好まない。嫌う。ここの「好」は動詞で去声。 ・紙筆:紙と筆。筆紙。ここでは、勉強、学習の意になる。

阿舒已二八、懶惰故無匹。
長男の舒は16歳にもなるというのに怠け者だ。
 ・阿舒:舒ちゃん。「阿-」は名や呼称の頭に附ける接頭辞。長男になる。 ・已:すでに。 ・二八:十六歳。2×8=16。掛け算の積で表す。例えば、「二八女郎」といえば「十六歳の乙女」の意。 ・懶惰:だらしがない。なまける。怠惰である。 ・故:もとより。もとから。≒「固」。もと。むかし。 ・無匹:類(たぐい)がない。

阿宣行志學、而不好文術。
二男の宣はまもなく15歳で学問を志す年というのに、文章学問が好きでない。 
・阿宣:宣ちゃん。 ・行:ゆくゆく。まもなく。 ・志學:十五歳を謂う。『論語・爲政』「子曰:『吾十有五而志於學。三十而立。四十而不惑;。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲,不踰矩。』」に基づく。 ・而:…が。ここでは逆接になる。 ・文術:文章表記。国語技術。

雍端年十三、不識六與七。
雍と端はともに13歳、6と7を足せばじぶんのとしになることもわからない。
 ・雍端:雍と端の二人の名。どちらも十三歳ということは、双子になる。 ・年十三:十三歳。 ・不識:知らない。分からない。知識が無くて分からない。 ・六與七:6と7との数量の差異。 ・與 数字の戯れ。

通子垂九齡、但覓梨與栗。
五男の通はもうすぐ9歳になるが梨や栗をねだるばかり。
 ・通子:通くん。 ・-子:名の後に附ける接尾辞。 ・垂:なんなんとしている。もうすぐに…になろうとしている。 ・九齡:九歳。:ただナシとクリを求めるだけである。幼くて食べ物にしか関心がないということ。 ・但:ただ…だけ。 ・覓:もとめる。 ・梨與栗:ナシとクリ。

天運苟如此、且進杯中物。
天の下した運命が、いやしくも、このような状態ならば。しばらくは、酒でも飲んでいよう。 
・天運:天の下した運命。天命。 ・苟:いやしくも。かりそめにも。 ・如此:このような。 ・且:しばし。しばらくは。 ・進:飲んでいる。飲んでいく。自分で飲み進める。 ・杯中物:酒をいう。



陶淵明の子については、五人で
この詩44歳   舒、宣、雍、端、通、
『與子儼等』では 儼、俟、?、佚、?、
5人の子の成長に伴い名は変わった。


陶淵明29歳の時、長男を授かり、14年たっている。
この時、陶淵明は44歳。あらゆる職を擲って田園に隠棲し、「帰去来」の詩一篇を詠んでから3年程が経っている。隠遁をしたいきさつを示したその詩「帰去来」の中で僮僕喜び迎えと云った子供たちと平穏な生活をしてきたのだ。子供に対し、客観的な分析評価をしているように見えても少しも不安を感じているようには思えない
時、その中にはこの5人の子の姿もあったに違いない。
戯言として言いながら、愛情は感じられる。

白髮  兩鬢を 被ひ,
肌膚  復(ま)た 實ならず。
五男兒  有ると 雖(いへど)も,
總(すべ)て  紙筆を 好まず。
阿舒は  已(すで)に 二八(十六),
懶惰  故(もと)より  匹(たぐ)ひ 無し。
阿宣は  行(ゆくゆ)く 志學なるに,
而して 文術を 好まず。
雍・端は  年 十三にして,
六と七とを  識(し)らず。
通子は  九齡に垂(なんな)んとするに,
但(た)だ  梨と 栗とを 覓(もと)む。
天運  苟(いやし)くも 此(か)くの如くあれば,
且(しば)し  杯中の物を 進めん。

長男が十六歳であることから、陶淵明44歳ころの作であろう。29歳の時「命子」において「爾が斯の才を願う」と期待を隠さなかった陶淵明であるが、同時に「爾の不才なる、亦、已もうえず」と、才能がなければ仕方がないと結んだ。そして、この「責子」においても五人の息子が揃いも揃って不出来だと嘆いているようであるが、五人の息子がいかに愛おしい存在であるか、家族がいかに心の支えになっているかという心の内を「戯れの句」から読みとることができる。陶淵明にとって心安らかな田園生活に家族は不可欠で、家族はまさに田園生活の一部となっていたのである。五十過ぎに大病を患っている。回復し書き残した「與子儼等疏」(子の儼等に与る疏)において、「性剛才拙,與物多忤。」(性は剛にして才は拙、物は忤(さからう)こと多。)「自量為己,必貽俗患,便俛辭世,使汝等幼而飢寒」(自ら量るに己の為にすれば、必ず俗患を貽くる。便俛として世を辞し、汝等をして幼くして飢え寒かしむ」と述懐し、家族がいたからこそ今があると述懐している。
しかし、陶淵明は最初から儒家を遠ざけ隠逸を志したわけではないのだ。没落士族とはいえ、元は江南地方の名士の家系である。「おさなくして窮苦なり」(「與子儼等疏」)、「親老い家貧しきを以て、起して州の祭酒と為るも、吏の職に堪えず、少日にして自ら解きて帰る」(『晋書』隠逸・陶潜伝)などとあるように、早く父を亡くした陶淵明は、中央政府の官僚として活躍することを志していたのである。
でも、仕官の道は予想以上、努力以上に険しいものだったのだ。小国間での戦、晋朝内部に起こる政争、内乱、何よりも東晋の政府は、北方から追われてきた貴族と、土着の大地主たちによって構成され常に矛盾をはらんでいた。そのしわ寄せは人々に向けられた。地方官僚に至るまで、腐敗と騙し合い、下級官僚にとっても生活のできる禄ではなかった。宗教による農民一揆は、王朝の崩壊につながった。陶淵明は辟易した。特に東晋王朝が滅亡したことにある。

陶淵明は、詩的表現として、できの悪い子供たちのことを詠っていますが、隠遁者の特有の表現法です。なぜなら、出来の悪さをそれぞれに述べていて結論は、まあ、一杯飲もうか!と言っている。陶淵明が、四六時中飲んでいたのか、そうではない。農民を一緒に飲んでも冷静に対処している。いわゆる、酔っぱらっていないのである。竹林の七賢と同様、酒は表現なのだ。親として、きちんと子供と接していたのだ。
子供が誕生して詩を作り、十年余りで途中の子供たちの詩をそして、十年後に詩を作る。内容は親とての姿勢はぶれていないことだ。


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漢文委員会  紀 頌之