漢文委員会 紀 頌之毎日の中国詩訳注解説 「6」 Blog

      採蓮曲訳注解説ブログ


紀頌之の中国詩文研究のサイト

採蓮曲




  李白詩







採蓮曲 李白詩8-12


 金陵の渡津から70km前後いったところに潤州(江蘇省鎮江市)の渡津がある。ここから大運河が南方向、呉越に伸びる。李白は平江(江蘇省蘇州市)に立ち寄った。ここは春秋時代の呉の都城があった地である。
 江南の景勝地で、国の命運を左右した美女に思いをはせる。


 李白8  蘇台覧古           

旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。

古い庭園 荒れた楼台に芽吹く柳は新しく
菱摘む娘らの清らかな歌声こそが 春なのだ
いまはただ西の川面に照る月だけど
かつて呉王の宮殿の  美女を照らした月なのだ




 古い庭園、荒れ果てた高楼台に柳だけが新しい芽をつけている。菱の実を摘む娘たちの清らかな歌声が聞こえてくる。
 そんな歌声を聴くと私は感傷的な思いに耐えられなくなる。今も昔も変わらないものは、西湖の水面に映る月の光、この月は千年以上前、呉王の宮殿の絶世の美女(西施)を照らし出したのだ。

 李白の時代からおよそ1300年前、春秋時代の呉の国王は、自らの宮殿「姑蘇台」を築いた。李白はその宮殿跡にたたずみ、往時の繁栄を偲んでいると、聞こえてきたのはあの娘たちの歌声であった。


 春、そこはかとない思いにふける李白に娘たちの声はもの哀しさを感じさせるものだった。峨眉山に残した彼女を照らす月の光を、絶世の美女西施に照らすと置き換え詠った李白の名作である。(西施は四大美女の一人)


 李白は後年、金陵や呉越の地を幾度も訪れている。この詩はその40代の作とされているが、蜀を旅たち、金陵や呉越に到着し、この景勝地に来ていることで、ここに掲載した。


蘇台覧古
旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。


旧苑(きゅうえん) 荒台(こうだい) 楊柳新たなり
菱歌(りょうか)の清唱(せいしょう)  春に勝(た)えず
只 今は惟(た)だ西江(せいこう)の月有り
曾(かつ)て照らす  呉王宮裏(ごおうきゅうり)の人







浙江省紹興市。かってこここに都をおいた越の国は呉の国と激しい戦いを繰り広げた。李白は、呉の国姑蘇台を見て、この地を訪れた。


李白 9    越中覧古

越王勾践破呉帰、義士還家尽錦衣。

宮女如花満春殿、只今惟有鷓鴣飛。





越王勾践は呉を破って凱旋し
忠義の士は家に錦の衣で帰ってきた。
宮女は花のように春の宮殿を満開にし
いまはただ、そこには鷓鴣しゃこの飛び交うばかり。

 越王の句践が呉を破って凱旋してきた。忠義の義士たちも錦の衣を着飾って、故郷に帰ってきた。
宮中の女性達は、美しい花のように宮殿に満ち溢れている。
しかし、今はただ、栄華の跡に切ない鳴き声を響かせて鷓鴣飛び回るばかり。



 現在、街の郊外高台に越
王の宮殿は復元街に復元
されている。李白が詠んだこ
の詩は、「臥薪嘗胆」の故
事で有名な越と呉の戦いの
歴史を背景にしている。

 紀元前5世紀、呉の国王が父の仇を討つため毎日薪の上に寝て、越への恨みを忘れまいとした。「恨み」それは呉に越の国王が追い詰めとらえられ、鞭で打たれ、瀕死の中で許しを乞うたことである。この屈辱を忘れまいと越の国王は苦い肝を日々嘗め続けた。そして、雪辱の日を迎える。


越王勾践(こうせん)  呉を破りて帰る
義士家に還るに尽(ことごと)く錦衣(きんい)す
宮女は花の如く春殿(しゅんでん)に満ち  
只今は惟(た)だ鷓鴣(しゃこ)の飛ぶ有るのみ

 宿敵を打ち破り、意気揚々と凱旋する越の国王。故郷に錦を飾る家来たち。
 宮中では、麗しき美女たちが舞い踊る。李白は次第に調子を上げて詠う。
 ところが鷓鴣がなき、飛び回ることで現実の世界に引き戻されてしまう。李白お得意の詩調である。

 鷓鴣はキジ科の鳥で、その鳴き声は悲しげである。およそ1300年前の臥薪嘗胆と栄華、鷓鴣は現実の悲しさに引き戻す格好の題材である。こういう対比は李白の鮮やかさということになる。

自然大博物館(小学館)
 越中覧古
越王勾践破呉帰、義士還家尽錦衣。
宮女如花満春殿、只今惟有鷓鴣飛。


越王勾践(こうせん)  呉を破って帰る
義士 家に還りて尽(ことごと)く錦衣(きんい)す
宮女は花の如く春殿(しゅんでん)に満ち  
只 今は惟(た)だ鷓鴣(しゃこ)の飛ぶ有り











 この詩も絶世の美女西施にまつわる地名を題材にしています。若耶渓、浙江省紹興市東南の若耶山から発して、北流して現在は運河にそそぐ川の名で、唐代までは鏡湖が大きく、鏡湖注がれていた。その若耶渓で蓮を取ったとされるのが西施である。西施は越王勾践が呉王夫差に対して献上してその歓心を買ったとされる美女である。(後に取り上げる子夜呉歌では明確にでてくる)。 李白はここ江南地方でたくさんの詩を歌っています。美女についてもそれぞれとらえています。
 四大美女とは、王昭君、貂蝉ちょうぜん、西施、楊貴妃とされるが、貂蝉が架空の人物であることから、詩人の世界ではそこに虞美人を入れる。したがって、このブログでは四美人は虞美人を入れたものでとらえていく。ここ、しばらく、李白を取り上げていき、西施ものがたりを書いていくつもりです。
 ちなみに王昭君については漢文委員会の漢詩総合サイトhttp://kanbuniinkai7.dousetsu.com/において王昭君ものがたり、李白 王昭君を詠う「王昭君二首」、白楽天 王昭君を詠う「王昭君 二首 白楽天」を参照されたい。
    



李白10 採蓮曲    
      
若耶渓傍採蓮女、笑隔荷花共人語。
日照新粧水底明、風飄香袖空中挙。
岸上誰家遊冶郎、三三五五映垂楊。
紫留嘶入落花去、見此踟厨空断腸。


若耶渓のあたりで蓮の花摘む女たち
笑いさざめきハスの花を隔てて語り合う
陽照は化粧したての顔を明るく水面に映しだし、
吹いている風は香しい袖を軽やかに舞い上げている
岸辺にはどこの浮かれた若者だろうか
三々五々としだれ柳の葉影に見え隠れ。
栗毛の駒は嘶いて柳絮のなかに消え去ろうと
この女たちを見ては行きつ戻りつむなしく心を揺さぶられる。


 本来、「採蓮曲」というのは蓮の根を採る秋の労働歌だが、李白はそれを越の美女西施(せいし)が紗を洗い、蓮の花を採った事に柳絮(りゅうじょ)の舞う晩春の艶情の歌に変化させている、李白の真骨頂というべきもののひとつです。。
 馬とともにおふざけをして垂楊(しだれやなぎ)の葉陰に消えていった若者たちのうしろ姿と、一方、急におしゃべりを止めて「踟厨」(ためらい)がちに顔を赤らめている乙女たちの姿を、李白は描いている。ハスを採る娘らとその乙女の気を引こうとしている若者=遊冶郎、現在だったらチャラ男のこと?。もう若い者の中に入りきれない客観してみている李白。経験したものでないとわからない中年李白の繊細な作品、名作とされている。
七言古詩、韻は 女、語、擧。/ 郎、楊、腸。


若耶 渓傍 採蓮女、笑隔 荷花 共人語。
日照 新粧 水底明、風飄 香袖 空中挙。
岸上 誰家 遊冶郎、三三 五五 映垂楊。
紫留 嘶入 落花去、見此 踟厨 空断腸。
採蓮曲の下し分
若耶(じゃくや)渓の傍(ほとり)採蓮の女(むすめ)
笑って荷花(かか)を隔てて人と共に語る
日は新粧(しんしょう)を照らして水底(すいてい)明らかに
風は香袖(こうしゅう)を飄(ひるがえ)して空中に挙がる
岸上(がんじょう)誰(た)が家の遊冶郎(ゆうやろう)
三三、五五、垂楊(すいよう)に映ず
紫?(しりゅう)落花に嘶(いなな)きて入りて去るも
此(これ)を見て踟?(ちちゅう)して空しく断腸


 漢詩が苦手だった人でも、「漢詩は、五言、七言の単位を句」といいいますが、この句も上記に示す通り、二語、三語で意味を考えていくとわかるようになります。私は正直なことを言うと、昔の読み方下し分が好きになれません。時には漢詩と下し分は別物と感じるものさえあります。下し分はあくまで日本で読む人がそれぞれに読み下しています、気にしないでいきたい。どんな詩でも必ず五言の詩は二言と三言、七言の句は二言、二言、三言で作られています。
 李白の詩は、漢詩の決まりに必ずしも忠実ではありませんが、技巧的にも芸術性でもぬきんでています。
 白楽天(最近では白居易)も平易な詩が多いですし、杜牧、蘇東坡も有名です。陶淵明、孟浩然、杜甫は少し入りにくいかもしれませんが、はまってくるといい詩に当たります。
  漢詩総合サイトでは、漢詩を体系的にとらえていっていますが、このブログでは、雑談気味に一詩ずつとらえています。





   

漢詩のブログ       10ch
 紀 頌之の漢詩ブログ

ブログページからコメント受けています

http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/




李白11 五言古詩




 李白の江南地方での旅は若いときは2年程度であった。この地方を題材にした詩は多く残されているが、詩の目線は中年のものが多いようである。推測ではあるが、若いときに作った作品を、後年再び訪れた時修正したのではないかと感じられる。?水曲りょくすいきょく 清らかな澄んだ水、純真な心もった娘たちの歌である。


緑水曲          
緑水明秋日、南湖採白蘋。
荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。
    
清らかな水に 秋の日が明るく映える
ここ南湖で 白蘋はくひんの花を摘む
蓮の花は あでやかに嬌なまめかしく物言いたげ
耐え難い想いは 船を蕩うごかすひとにも



 緑水は、澄んだ川や湖。詩の趣旨は「採蓮曲」と同じ。「白蘋」は水草の名。四葉菜、田字草ともいう。根は水底から生え、葉は水面に浮き、五月ごろ白い花が咲く。白蘋摘みがはじまるころには、蓮の花も咲いている。「南湖」という湖は江南のどこかにあるもので特定はげきないようだ。「愁殺」の殺はこれ以上なというような助詞として用いられている。前の句に「荷花:蓮の花があでやかで艶めかしく物言いたげ」な思いに対して、「船を動かす娘たちのこれ以上耐えられない思い」を対比させている。この詩の主張はここにある。これを理解するためには西施の物語を知っておかないといけない。
 越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた西施(施夷光)は谷川で洗濯をしている素足姿を見出されてたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
 「あでやかな物言いたげな」は西施たちを意味し、同じように白蘋を取る娘たちも白い素足を出している。娘らには、何も魂胆はないけれど見ている作者に呉の国王のように心を動かされてしまう。若い娘らの魅力を詠ったものである。(当時は肌は白くて少し太めの足がよかったようだ)
 李白に限らず、舟に乗って白蘋(浮き草)を採る娘たちを眺めるのは、とても素敵なひとときだったであろう。

 韻は蘋、人。

緑水曲          
緑水明秋日、南湖採白蘋。
荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。
 
緑水曲(りょくすいきょく)
緑水秋日(しゅうじつ)に明らかに
南湖  白蘋(はくひん)を採る
荷花(かか)  嬌(きょう)として語らんと欲す
愁殺(しゅうさつ)す舟を蕩(うご)かすの人











李白12 越女詞




越女詞 李白

長干呉兒女,眉目麗新月。
屐上足如霜,不着鴉頭襪。

長干の呉の娘は
眉目麗しく星や月にも勝る
木靴の足は霜の如く
真白き素足の美しさ

韻 月、襪。

長干の呉児のむすめ
眉目星月より艶やかなり
屐上の足霜の如
鴉頭の襪を著けず


呉兒多白皙,好爲蕩舟劇。
賣眼擲春心,折花調行客。


耶溪採蓮女,見客櫂歌迴。
笑入荷花去,佯羞不出來。

耶渓の蓮採るむすめ
旅人を見て舟歌を歌い次第に遠ざかる
笑いながら蓮の花蔭に隠れてしまった
恥ずかしそうな格好をしてこちらに来ないぞ

韻 迴、來。

耶渓の蓮採るむすめ
旅人を見棹歌し巡る
笑いて蓮の花の蔭に隠る
いつわり羞じて敢えて来たらず



東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。





鏡湖水如月,耶溪女似雪。
新妝蕩新波,光景兩奇?。

鏡湖は水が月光のようにすみ,耶溪は女むすめが雪のように色白。
初々しい化粧姿はすがすがしい波間にうつる,その光景はどちらも比べがたく素晴らしい。

韻は、月、雪、絶。

鏡湖 水 如月のごとく,耶溪 女 雪のごとし。
新妝 新波に蕩ゆらめき,光景 兩つながら奇?。