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張九齢ものがたり


      唐王朝時代の詩人


張九齢ものがたり


206 張九齢(ちょう きゅうれい、678年 - 740年)は中国唐代中期の政治家・詩人。字は子寿。諡は文献。
 

韶州曲江(広東省)の出身。
・702年に進士に及第。
・寒門の出ではあったが宰相の張説に認められて校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任し、
玄宗時代の733年以降は尚書右丞相の任にあたった。
・734 張九齢、中書令となる。

・736 洛陽から長安への帰還を裴耀卿とともに反対したが少数に追い込まれた。11月、張九齢、靡免される。そのうえ、張九齢と仲がよかった厳挺之の離縁した妻の夫・王元炎の贈賄事件にからめ、朋党をなした名目で張九齢・裴耀卿の実権を奪うことに成功する。厳挺之は左遷。王元炎は流刑となった。李林甫、中書令を兼ねることになり、こののち、李林甫に対するものはいなくなった。
・安禄山、契丹に敗れる。
・737 4月、張九齢、刑州に流される。
・官を辞した後は故郷に帰り文学史書に親しんだ。
・740 この年、五穀豊かに稔り、米価は斗二百に満たず、天下、泰平を謳歌す。張九齢・孟浩然死す。

安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる。「開元最後の賢相」として名声高く、孟浩然や王維に希望を託されたこともある。王夫之はその『讀通鑑論』のなかで「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋m・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。
 
陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。

著作に『張曲江集』20巻がある。


自君之出矣
自君之出矣、不復理残機。
思君如満月、夜夜減清輝。

君のいでしより、また残機を理(おさ)めず
君を思えば満月の、夜夜に清輝を減ずるが如し




照鏡見白髪
宿昔青雲志、蹉佗白髪年。
誰知明鏡裏、形影自相憐。

宿昔 青雲の志、蹉佗(さだ)たり 白髪の年
誰か知らん 明鏡の裏(うち)、形影 自ら相憐まんとは






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