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就活の日々詩


■ 杜甫 就活の日々詩
李白と別離仕官叶う期 


青年期と李白と遭遇期からのつづき


天宝6載747年36歳
    五言律詩 d404   故武衛将軍挽詞三首
   ・  死んだ武衛将軍のためにつくった喪の歌辞。長安での作
    五言古詩 19 奉贈韋左丞丈二十二韻(
   ・ 沢山の詩を奉贈するが、李林甫が権力を握っていたので、尚書
    左丞韋済も手の施しようがなかった

◎ 天下に詔して、一芸に通ずるものを長安に集めて試験す。
  李林甫、文学の士を嫌い、みなこれを落第させる。


◎ 正月、李邑殺さる。 杜甫のサポーターであった。


◎ 10月、温泉宮を華清宮に改め、規模を拡大す。


◎ 李林甫、権威を嵩に獄死者多数。


天宝7載748年37歳
    五言古詩 d364 奉寄河南韋尹丈人
   ・ 河南の尹である韋済どのに寄せ奉った詩。長安の作。
天宝8載749年38歳
    七言歌行 d922  高都護驤馬行
   ・ 安西都護高仙芝の騎る駿馬の歌。長安での作
 ・ 哥舒翰、吐蕃を破る。 ・府兵制の崩壊、折衝府軍の形骸化。
   折衝府は兵のいない官吏だけになった。
    五言古詩 d350  冬日洛城北謁玄元皇帝廟
   ・ 冬の日に洛陽の城で玄元皇帝(老子)の廟に謁しての作。

天宝9載750年39歳
    五言古詩 d394 贈翰林張四學士
   ・   翰林学士張相に贈った詩である。河南より長安に帰った時の作
    七言歌行 d069    病後遇王倚飲,贈歌
    七言歌行 24 兵車行 リアリズムに徹した詩作に没入していく.
    他 924.贈陳二補闕 がある。    

天宝10載751年40歳
   ・ 正月、三大礼行なわる。2月、安禄山、河東節度使を兼務。
     4月、鮮千仲通、南詔を討ち、高仙芝、大食を討つ
     五言古詩 d931 樂遊園歌
   ・ 長史賀蘭場の定席でのる酔時歌である。杜甫は天宝9載に賦を
    献じたが、徴用されなかったときの作、正月晦日の作。
     五言古詩 d021  同諸公登慈恩寺塔(高標跨蒼天)
   ・ 秋、詩人の岑参、高適、儲光羲らと慈恩寺の塔に登る。
     8月、安禄山、契丹を討って、ともに大敗す。
○751年 -タラス河畔の戦い。朔方副節度使に任命した突厥の阿布思が反乱を起こす。
   五言古詩 送蔡希魯都尉還隴右寄高三十五書記
   後、世話になる高適に贈った詩である。高適はこの頃より詩を作り
   始め、数年のちには、邊塞詩に佳作を残す。李白、杜甫らとの出会
   いが遅咲きの詩人を作り出した。
   この年 927.投簡成華兩縣諸子  928.病後遇過王倚飲贈歌
        931.樂遊園歌       929.杜位宅守歳
   がある、仕官のための貴族との付き合いの詩が多い。

天宝11載752年41歳
    七言歌行 28 貧交行(翻手作雲覆手雨)
    ・ 貧賎であった時には交りがあったものが富貴となって後は交りを
    棄てることを詩。杜甫は賦を献じて後久しく長安に寓居していた
    が、彼を念うもののなかったために此の作を作った。
    七言歌行  d930 元都壇歌寄元逸人
   ・ 玄都壇のさまを述べて元逸人に寄せた詩。
    七言歌行 d931 曲江三章 章五句  
     曲江 秋時の感を詠う。
     
  ● 十一月、李林甫病死し、楊国息、右相となる。18年間の圧制も
今度は楊貴妃一族に取って代わります。
    五言古詩 d356   奉贈鮮於京兆二十韻京
    兆尹鮮于仲通に贈った詩。十二月の作。
    七言歌行 d014   白絲行
     旅境の貧餞を忍んで其の節操を易えてはならぬという趣旨。
    長安に客寓していたときの作。
    他  933 敬贈鄭諫議 十韻 935 前出塞   九首
        923 嘆庭前甘菊花

天宝12載753年42歳
    五言古詩  d304   送高三十五書記
  ・ 夏、友人の高適が武威郡(甘粛省武威県)に駐屯する河西節
      度使の哥舒翰の書記として赴任するのを送る。「三十五」とは、
    従兄弟をもふくめての兄弟順を示す、いわゆる排行である。高適は
    杜甫より五歳の年長で、河南・山東を放浪していたときの友人。
    五言律詩 d38 陪鄭広文遊何将軍山林十首 
    夏、かねて親しくしていた鄭虔(ていけん)に誘われて、某将軍の山
    荘に招かれる。
    七言歌行 d029 I陂行
    夏、I陂の水面に舟遊びした。 
◎ 八月、長安に長雨あり、米穀騰貴す。
    七言歌行 d027 麗人行(三月三日天気新)
    楊貴妃の親族の宴を題材にし、楊国忠の横暴と危険に触れるもの
    他に、936.送裴二及泪 尉永嘉  
       937.送張十二參軍赴蜀州,因呈楊五侍禦
       938.送韋書記赴西安


天宝13載754年43歳
    五言律詩939 寄高三十五書記
    友人高適が哥舒翰の部下であったのに寄せた詩である。
    五言律詩388  重過何氏五首
    何将軍の山荘を再訪するときの詩。
    五言古詩396 陪諸貴公子丈八溝携妓納涼晩際遇雨二首      舟遊びでみじめな思いをし、我慢を重ね任官の機会を願う。
    七言歌行030  I陂西南台
    七言歌行017  醉時歌
    酔ったときの気もちをうたった作。親友広文館の博士鄭度に贈った
    五言律詩382 送裴二 尉永嘉
     裴二及が永嘉の尉に任ぜられて赴くのを送る詩。
    五言律詩384  贈田九判官梁丘
    河西節度の判官田梁丘に贈った詩。
    五言律詩395 迭張十二参軍赴蜀州因呈楊五侍御
    張某君が蜀州の参軍に赴任するにつけて楊侍御に呈した詩。
    此の詩は張を楊に紹介する作である。
    030  戲簡鄭廣文虔,兼呈蘇司業源明
    五言古詩032 夏日李公見訪 (就職活動中 杜曲の家)  
    七言歌行013  天育驃騎歌(天育,?名,未詳所出)
    五言古詩022 示従孫済(就職活動中 杜曲の家)
    五言古詩023  九日寄岑參(參,南陽人)
    五言古詩035  橋陵詩三十韻,因呈縣?諸官
    五言古詩935 奉贈太常張卿?及二十韻
    太常卿張?及に送った詩である。製作時は天宝十三載。
    七言歌行036 沙苑行
     沙苑の牧場のことにより感じて作った詩である。
    七言律詩015 秋雨嘆三首
    秋、六十日間雨が降り続。前年水飢饉。食糧不足に陥った。
    七言律詩386 贈獻納使起居田舍人澄
     居舎人にして献納使である田澄に贈った詩。

天宝14載755年44歳
   307七言歌行  醉歌行
   いとこの子杜勤が落第して故郷へ帰るのを送り、別れの宴で酔って
   作ったうたである。製作時は天宝十四載の春、長安での作。
   936五言古詩上韋左相二十韻
    韋左相にたてまつった詩。初春の作であろう。
   五言古詩501 送蔡希魯都尉還隴右,因寄高三十五書記
   陳右の節度使である哥舒翰の部下である都尉の官の蔡希魯
      が陳右へかえるのを送り、隣右に居る親友高適に寄せた詩。
   春の作。* 〔原注〕時寄野人奏。勘察子先蹄
   937五言古詩 夜聽許十一誦詩愛而有作
    許十一が夜、その詩を朗吟したのをきいて、それをめでてこの詩を
   作った。許十一を或は許十、或は許十損に作る。長安での作。
   938戲簡鄭廣文兼呈蘇司業
   20夏日李公見訪
   939天育驃騎歌,吾聞天子之馬走千裡,今之畫圖無乃是
   940沙苑行
   23五言律詩405官定後戯贈(不作河西尉)
   河西の尉という空名の任官を免ぜられて太子右衛率府兵曹参軍
   事に任ぜられることにきまったあとで戯に自分自身に贈った詩。
   七言歌行942魏將軍歌
   魏軍魂某のことについてよんだ。名は未詳。安禄山の反以前の作
   七言歌行d037     941 驤馬行  もと天子から太常寺卿梁某
   に賜わったもので、李ケ公が自分の所有として愛している驤
    馬について、作者がケ公の命をうけて作った詩である。
    * 〔原注〕太常梁卿敢賜馬也。李ケ公。愛而有之。命甫製詩
   五言古詩023奉同郭給事湯東靈湫作(驪山?湯之東有龍湫)
   給事中の郭氏が騒山温泉東にある霊漱について作った詩に和し
   て作った詩。安禄山の反は天宝十四載十一月のことであるが、此
   の詩はその反跡があって猶反していなかった時の作であろうという。
    或は作者が奉先県に赴く前の作とする。
   五言古詩d039自京赴奉先県(杜陵有布衣)
   長安より奉先県へ赴いたとき心に感じたことをよんだ詩。11月初作


天宝15載756年45歳
   949七言歌行  晦日尋崔収李封(晦日 尋崔?李封を尋ぬ)
   正月のみそかに崔収及び李封をたずねた詩。
   950送率府程率還録
   502七言歌行 薛端薛複筵簡薛華醉歌(蘇端薛複が筵にて薛
   華に簡せる酔歌)蘇端・薛複が宴席で薛華に手紙がわりに寄せた
   酒酔の時の歌。正月初旬の作。詩中に「悪開戦鼓悲」。
    948七言歌行 奉先劉少府新畫山水障歌
   奉先県の尉官である劉単の新画の山水の図のついたての歌。
   奉先での作であるが前の「詠懐五百字」より前か後か不明。
   949橋陵詩三十韻因呈縣?諸官
   959九日楊奉先會白水崔明府
   969白水明府舅宅喜雨,得過字
   939七言歌行 天育驃騎歌
   天子のお厩である天育厩において養われた驃馬の図をみて作った
    935五言律詩 前出塞九首
   この詩は天宝の未年哥舒翰が吐蕃に兵を出して戦功をあせる。
   従軍者の心もちになって詠ったものである。
 ◎正月、安禄山、洛陽にて雄武皇帝と称す。六月、哥舒翰、霊宝に敗れ、禄山、潼関を陥る。玄宗、蜀に葬らんとして、馬鬼に至りしとき、陳玄礼、揚国忠を殺す。場景好もまた縊殺さる。禄山、長安を陥る。
   945五言古詩 後出塞五首
  前に「前出塞」の詩があり、これは事が後にある故に後出塞という。しかしながらその名づけかたは前には単に「出塞」とあったのをこの後の出塞ができてのちにこれを「後出塞」とし、前のを「前出塞」と名づけたのであろう。天宝十四戟三月壬午の目に安禄山は奚・契丹と浅水(大遼河)に戦ってこれを敗り、洛陽の兵を発して漁陽の方に赴かせた。この詩はこれがために作ったもの。製作時は第五首をみるのに禄山の反に言及している故、反後まぢかき頃の作であろう。
   946去矣行
   947奉同郭給事湯東靈湫作
     948奉先劉少府新畫山水障歌
     951五言古詩 白水縣崔少府十九翁高齋三十韻
   白水県の尉官である崔十九翁の高斎で作った詩。夏の作。
     952五言古詩  三川觀水漲二十韻
   三川(県の名、今陝西省鹿州の南)において大水にあったことをの
   べる。三川とは華池水・黒水・洛水の三川が会する処。奉先より
  白水に赴き、前の「高斎」の詩がある。更に白水より華原を経て鹿
    州に赴いた。

 7月至徳元載 年号を至徳とする 太子享、霊武に即位す。

◎ 十月、房菅、陳陶斜に放る。永王堺、江南に叛反し、李白その幕僚となる。王昌齢、没。
   953避地
  308七言歌行 哀王孫(哀いかな王孫)安禄山の乱に或る皇族が
   哀れな姿で潜んでいるのを見て哀れにおもって作った。九月の作。
 10月043七言律詩 悲陳陶(孟冬十郡良家子)
   政府軍の勝利を期待したが、陳陶斜の戦いは、政府軍、一日の
   戦闘で大敗。敗れた模様の詩。
 10月七言律詩044 悲青坂 (反乱軍に捕らえられる)
   官軍が青坂で敗れたことを悲しんで作る。
   此の敗軍は契卯南軍の敗についていう。十月二十三日以後。
    409五言律詩  月夜(今夜鹿州月) 
   連行されて間もない晩秋の作。羌村に残してきた家族を想う詩。
 11月408五言律詩 対雪(戦哭多新鬼)
   雪に対して感を述べる。冬の作。
   11月には房菅が陳陶斜で敗「悲陳陶」詩に見える。

   五言律詩100得舍弟消息二首
   弟の便りを得たときに作る。何処で作ったかは明かでない。張遠は
   弟は東京に、杜甫は西京にあった
   050     雨過蘇端(端置酒)

至徳二載757年46歳

   五言律詩412 春望(國破山河在)春 亡国の悲哀詠う。  

   五言律詩413 憶幼子
   長安にあって鹿州の羌村に在る幼子を憶って作る。この幼子は杜
   甫の第二子宗武。宗武の幼名を驥子という。至徳二載春。

   五言古詩051 喜晴
   雨つづきのあとに晴れとなったことを喜んだ詩である。至徳二載三
   月契亥より大雨があり、甲戌の日に至って止んだ後の作。  
   五言排律410 遣興(驥子好男児)
   五言古詩047 大雲寺贊公房四首
   長安の大雲寺の僧賛公の室に過宿したこ。
   七言歌行 曲江 一章 五句(自斷此生休問天)

   七言歌行045 哀江頭(少陵野老呑聲哭)  
   こっそりと行った曲江の畔に佇みながら、玄宗と楊貴妃の遊宴の
   華やかであったころを回想。楊貴妃の豪奢に批判し、一方では
   皇帝が追い詰められて愛妃に死を与える悲劇的なこと詠。城外
   の北の官軍に首都奪回の期待を寄せる。


   五言律詩41 自京竄至鳳翔達連行在所 三首
   京より竄れて鳳翔至り 行在所に達することを喜ぶ詩。

   七言歌行961 送樊二十三侍禦赴漢中判官
   侍御史の官である樊某が漢中王の判官となって任に赴くのを送る
   詩。至徳二載の初め、鳳翔の行在所での作。
◎「正に難難の時に当る 実に長久の計に藉る」「我匡復の資無し 聊か此従り逝かんと欲す」いまはちょうど国家艱難の時にぶっつかっておる。之を救うには実に経済上の供給をうまくやるという長久の計によらねばならぬ。・・・・・・・ただ自分は不才であって君失を正し、王室を回復するに足るだけの資質をもたぬから、今からここをたち去って山林へゆこうとおもうのである。 


   34 述懐  75
    鳳翔において粛宗皇帝に謁見し、左拾遺の官を拝命して以後、
   麒州の家族の安否を問い、消息がなお来なかったときのおもいを
   のべた作。製作時は至徳二載の夏。757年46歳
   五言古詩055 963 送從弟亞赴河西判官(従弟亜が河西判
   官に赴くを送る)いとこの杜亜が河西節度使の判官となって赴任す
   るのを送る詩である。製作時は至徳二載の夏、鳳翔で。
   d053    送長孫九侍禦赴武威判官

   五言律詩422 月  
   鳳翔にあって月をみてよんだ。至徳二載七月の作。

   五言古詩41 得家書
   「述懐」の詩で心配をして安否問いあわせの手紙を出したのち、
   家族より返事を得て作った詩。至徳二載の秋七月、鳳翔。
   ⇒「眷みて言に終に鋤を荷わん」

   五言律詩417 967奉贈嚴八閣老 厳八閣老に贈った詩。

   五言古詩965奉送郭中丞兼太樸卿充隴右節度使三十韻
   御史中丞郭英乂が太僕卿の官を兼ねながら、隴右節度使に
   充てられたのを送る詩。製作時は至徳二載の秋八月。
   五言古詩057塞蘆子(蘆子關屬夏州,北去塞門鎮一十八裏)

   五言古詩41 503送楊六判官使西蕃
   楊某が判官として吐蕃国に使いにゆくのを送る。至徳二載の秋。   なお長安をとりかえさなかった時。異民族に援助を頼む。

   五言律詩422 970晩行口號  鹿州へ赴く途中で、日暮れに
   歩きながら口ずさんだ詩。
   d61    徒歩歸行

   五言古詩063 973九成宮  鹿州へ赴く途中、九成宮のほとり
   を経過して作った詩である。
   五言古詩062 974玉華宮  鹿州へ赴く途次其の地をすぎて。
   五言古詩   寄岳州賈司馬六丈巴州厳八使君両閣老五十韻 
   五言古詩424 976行次昭陵(行くゆく昭陵に次る) 鹿州へ帰る
   途すがら昭陵のほとりにやどって作る。

   五言古詩058 彭衙行(憶昔避賊初)
   前年彭衙の地を過ぎたことを追憶して作った詩である。
   この詩はとても長い詩。一家を連れて、北へ避難します。  
   d056     送韋十六評事充同谷郡防禦判官

   五言古詩42 977喜聞官軍已臨賊境 二十韻
   官軍が賊軍の居る地へさしかかって攻めこもうとしていることを聞き
   喜んで作った詩。至徳二載閏八月

   五言古詩063 羌村三首
   黄土高原の雄大な夕刻に到着。門のあたりで小鳥が騒ぎ、帰って
   きたことを知らせ、迎えた家族の喜びや近所の人のようすまでが、
   時間の経過を追っていきいきと描かれる。

   五言古詩05北征(皇帝二載秋)五言百四十句の長篇古詩。
   至徳二載六月一日、鹿州に帰ることを許された。作者が此の旅
   行をした所以である。製作時は至徳二載九月頃か。八月初めに
   鳳翔より出発して鹿州に到著して以後に作ったもの。

   五言律詩427 978收京三首  官軍の手に長安を奪回した事で
   作る。製作時は至徳二載十月末か、十一月初めの作。
   五言古詩425 979 重經昭陵  帰りに昭陵の地を経過したとき
   作る。

   七言律詩 送鄭十八虔貶台州司(戸傷其臨老陥賊之故)
   都城開放を聞く.家族を連れて長安にもどる。
   七言律詩428 981臘日  杜甫は至徳二年十二月己に長安に
   還って此の日、賜物をうけたのによって此の詩を作る。

   七言律詩982 奉和賈至舍人早朝大明宮
   中書舎人である賈至が作った「早朝大明宮」の詩を和した作。
   乾元元年の春左拾遺として長安にあって作る。

   七言律詩 2000 宣政殿退朝?出左掖(宜政殿より退朝して 
   晩に左掖より出づ)夕方に左垣門を出て門下省の方へかえろうと
   したときの作。
   傷春 五首

   七言律詩429 983 紫宸殿退朝口號
   紫窟殿も東内に属する。
   南より北へ順次に含元殿・宜政殿・紫辰殿がある。

   五言律詩436 春宿左省(花隠掖垣暮)
   春の夜に宿直をして、眠られないまま夜明けを待っている詩です。

   五言律詩438 985 晩出左掖
   左掖は東内の東側垣門のこと、前に見える。此の詩は蓋し或る日
   の夕がたこの門より出て自己の廨舎に帰ろうとしたことをいう。

   七言律詩435 986 題省中院壁 (省中の院壁に題す)
   門下省のなかにある左拾遺の官の役所の壁にかきつけた詩。
   
   五言律詩4399   87 送賈閣老出汝州
   賈は賈至、時に中書舎人であった。乾元元年春の作。

   五言律詩437    988  送翰林張司馬南海勒碑

   七言律詩439   989 曲江陪鄭八丈南史飲

   七言律詩430   96 曲江二首其一(一片花飛減却春)
   酒にうさを晴らす。詩は、曲江に遊んだときの作。

   七言律詩430   97 曲江二首 其二(朝回日日典春衣) 
   七言律詩の秀作。「人生七十 古来稀なり」が、生まれた。

   七言律詩431   990 曲江封酒 (曲江にて酒に対す)
   曲江のほとりで酒にむかって作った詩。前詩と同年の作。

   七言律詩432   991 曲江封雨(曲江にて雨に対す)
   曲江にて雨に対して作る。乾元元年三月上巳節の作。

   五言律詩446   993 奉贈王中允維(王中允経に贈り奉る)
   太子中允である王維に贈った詩。

   五言古詩449   994.送許八拾遺歸江寧覲省。甫昔時嘗客遊此縣,於許生處乞瓦棺寺維摩圖樣,誌諸篇末

   七言律詩995 因許八奉寄江寧旻上人

   七言歌行996 題李尊師松樹障子歌
   玄都観の道士李が示した松をえがいたついたてに題した歌。

   五言律詩460 106得舎弟消息(乱後誰帰得)
   弟、無事。留守の娘もいなく犬だけが残されていた。

   五言古詩066     送李校書 二十六韻  997

   七言歌行065逼仄行,贈畢曜(一作b々行,一作贈畢四曜)

   五言律詩444  999贈畢四曜

   七言歌行103 痩馬行(東郊痩馬使我傷)
   官軍が棄て馬。馬は痩せ衰え、捕まえようとすると体を動かして避
   けます。

   五言古詩1001義鶻行 (義鶻行ぎこつこう)
   鶻が蒼鷹のために白蛇を殺し、子鷹を食った仇を討ったことを詩
   に。乾元元年長安での作。

   五言古詩1002畫鶻行 鶻鶴の画をみて感じた所をのべた詩。
   乾元元年、なお朝廷にあって志を得なかったときの作であろうか。

   五言律詩443 1003端午日賜衣
    乾元元年の五月五日に宮中より衣をたまわった。
   杜甫はなお左拾遺であった。

   五言律詩1004 酬孟雲卿



● 杜甫の詩


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