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  韓愈の生涯  

6-2 太子右庶子


太子右庶子 元和一一(816)年《49歳》 


6-2 太子右庶子
 元和十一年(808)、愈は四十九歳。正月、中書舎人となった。皇帝の側近にあって政務の顧問となり、詔勅や法今を起草する中書省の役人で、長官が中書令、次官が中書侍郎、その下が舎人である。位階も正五品上で、彼のこれまでの経歴のうち、最も商い。順調な出世が続いているわけだが、三月、彼は同僚たちとの宴席に出ながら、このようにうたった(韓文七、感春三首の三)。
晨游百花林,朱朱兼白白。
明け方からいろいろの花さく林を遊覧すると、あかくあかく咲く花のかたまり、また白く白い花のかたまりがある。
柳枝弱而細,懸樹垂百尺。
柳の枝はしなやかにこまやかに、柳の樹木から百尺も垂れている。
左右同來人,金紫貴顯劇。
左右にいっしょにやって来たのは、金や紫の服飾、佩び玉の色もうるわしいとても身分の高い人人である。
嬌童爲我歌,哀響跨箏笛。
なまめかしい少年がわたしに歌をうたってくれたが、そのかん高くもの悲しい響きは箏琴や笛にもまざってきこえてくる。
???筵舞,清眸刺劍戟。
あでやかな舞い姫が毛氈の上で舞っているが、そのきれいなまなざしは剣や戟とばかりわたしにつきささる。
心懷平生友,莫一在燕席。
私の心に浮かぶのは古いいつもの友だちのことであるが、そのひとりさえもこの宴にいあわせないのである。
死者長眇芒,生者困乖隔。
死んだ者とは永遠に交渉のなくなった状態になってしまい、生きている者とこまったことにはなればなれになったままである。
少年真可喜,老大百無益。
若いときこそほんとにたのしくよろこばしいものだ。老いさらばえては何ごとにつけても益が無いのである。

晨に百花の林に遊べば、朱朱 兼ねて白白。
柳の枝は弱【なよ】やかにして細【こま】やかに、樹に懸かって垂るること百尺なり。
左右の同【とも】に来たる人は、金紫【きんし】貴顕【きけん】なること劇【はなは】だし。
嬌童【きょうどう】我が為に歌い、哀しき響きは箏笛【そうてき】に跨【こ】ゆ。
??【えんぎ】筵を傷んで舞い、清き眸【ひとみ】は剣戟【けんげき】を刺す。
心に平生の友を懐うに、一【ひとり】も燕席に在ること莫し。
死せる者は長【とこしえ】に眇芒【びょうぼう】たり、生ける者は乖隔【かくかく】するに困しむ。
少年は真に喜ぶべし、老大【ろうだい】百ながら益無【えきな】し。

 朝、百花の咲き乱れる林に遊ぶ。朱色の花は朱に、白い花は白と、入りまじった美しさ。柳の枝はやわらかに細く、樹上から百尺の糸を垂らしている。いっしょに来た人は右も左も、金紫の飾りをつけた、貴顕をきわめた人々。美少年が私のために歌ってくれる。その哀調を帯びた声は琴や笛のしらべにまさる。なまめかしい美妓は宴席に立って舞う。こちらへ向けた涼しいひとみを見れば、刀で突き剌されるよう。だが、心中で昔の友人を思いおこせば、この宴席には一人もいない。死んだ者は永久にそれきり、生きている者も離れてしまって会えないつらさ。若いということこそ、ほんとうに楽しいのだ。年をとったところで、何ひとつ役に立つことがありはしない。
 これが、春のある日のたまゆらの感傷であったのか。それとも出世した代償として旧友とは遠く離れてしまったことへの思いが、彼の内心に巣くったのか。彼はこれ以上のことを説明してはくれないが、このころから彼の出世に影がさし姶めていたことは事実である。
 そのころ、愈の従児の兪の娘が死んだ。兪は愈が東都の国子博士をつとめていた時期に死んだので、彼がその遺族を引きとったのである。死んだ娘は兪の長女で、元和元年の進士である周況と結婚していた。結婚は愈のもとへ引きとられてから程なくのことであったらしい。夫の周況は、このとき四門博士となっていた。愈は胎のために、「四門博士周況の妻韓氏の墓誌銘」(韓文三五)を書いてやった。
 五月、愈は太子右庶子に移った。皇太子の侍従の職で、官等からいえば少しく降任されたことになり、実質的には、政務の中枢に参預する中書舎人から東宮づきになったので、はるかに閑職へと追いやられたことになる。
 その理由としては、次のような事実が拳げられた。荊南節度使の裴均の子の鍔は、非道の行為の多い人物であった。ところが裴均に対して、意は江陵府法曹参軍時代、恩顧を受けたことがあった。その縁が続いて、愈は鍔とも親しい交際を続けていた。それが怪しからぬというのである。
 だがこれは、表向きの理由にすぎない。ほんとうのところは、咋年の「」(淮西の事宣を論ずる状)が崇ったのである。愈の主張どおりに事は運んだのだが、それだけに反対派の憎しみも激しい。しかも、主戦派の裴度が宰相になりはしたものの、宰相は披一人ではない。そして、同僚の宰相である章貫之らは、すべて穏健派であった。愈と同じく、武元衡が暗殺された時に犯人を速やかに捕えよと建白した白居易も、この連中からにらまれて、前年、あらぬ罪を言いたてられ、江州(江西省九江)へ配流の身となった。
 ただ、この時期の愈は白居易より大物なので、簡単には罪に落せない。だから、この方は皇太子づきの閑職へと追いやったわけである。この年の作と推定される詩(韓文七、雑詩四首の一)に、彼はうたう。
雜詩,四首之一
(朝廷の中には、ハエや蚊のように敲いて追わなければいけないような輩がいるけれど、そういった小人をいちいち相手にせずにおれば、やがて自滅していくものだ)
朝蠅不須驅,暮蚊不可拍。
昼の中は、蝿が居て、まことにうるさいが、わざわざこれを駆るにも及ばない。夜になると、蚊が居て、まことにこまるが、これを拍いて追うことはむつかしい。
蠅蚊滿八區,可盡與相格。
今や蝿と蚊とは、世界に充満しており、なかなか、あい格して之を除き去ることは出来ない。
得時能幾時,與汝恣啖咋。
しかし、蝿蚊の時を得るのは、暑い時分に限るので、幾時も無いことだから、いささか辛抱して、汝が食ったり、刺したらするに任かせて置くのもよかろう。
涼風九月到,掃不見蹤跡。
九月にもなれば、見よ、涼風颯として吹く秋の未、蝿でも、蚊でも、ことごとく一掃して、跡方もなくなるので、ほんの少しの間の事である。
(雜詩,四首之一)
朝 蠅は驅るを須いず,暮 蚊は拍つ可からず。
蠅蚊 八區に滿つ,盡く與に相い格す可けんや。
時を得ること 能く幾時ぞ,汝の與【ため】に啖咋を恣にせしめん。
涼風 九月到らば,掃うて蹤跡を見ず。
 朝の蝿は追い払うこともできぬ。日暮れの蚊は叩くこともならぬ。蝿と蚊があたりに満ちて、その全部と格闘できるわけもない。だが、彼らが時を得顔にしていても、どのくらい長続きできて、彼らの好きなように食っていられるものか。九月になって諒風が吹けば、彼らは一掃されて、あとかたもなくなるだろう。
 蝿と蚊は、いうまでもなく朝廷に巣くう小人どものたとえである。愈は悲憤を抱きつつ、せめてもこのようにして、みずから慰めるのであった。


(816)
1.聽穎師彈琴【聽潁師彈琴】
2.嘲魯連子【案:齊田巴辯於徂丘,議於稷下,一日而服千人,有徐劫弟子曰魯連,年十二,謂劫曰:「臣願當田子,使不得復?。」魯連往見田,巴於是杜口易業,終身不談。】
3.調張籍
4.符讀書城南【案:符,愈之子;城南,愈別墅。】
5.人日城南登高
6.病鴟
7.感春,三首之一
8.感春,三首之二
9.感春,三首之三
10.早赴街西行香,贈盧、李二中舍人【案:盧汀、李逢吉也。】
11.?寄張十八助教周郎博士【案:張籍、周況也。況,愈之從婿。】
12.題張十八所居【案:籍。】
13.奉酬盧給事雲夫四兄曲江荷花行見寄并呈上錢七兄【案:徽。】閣老張十八助教
14.奉和錢七兄【案:徽。】曹長盆池所植
15.庭楸
16.梁國惠康公主挽歌,二首之一【案:公主,憲宗長女,下嫁于?之子季友,元和中薨,詔令百官進詩。】
17.梁國惠康公主挽歌,二首之二【案:公主,憲宗長女,下嫁于?之子季友,元和中薨,詔令百官進詩。】
18.遊城南十六首:賽神
19.遊城南十六首:題于賓客莊
20.遊城南十六首:?春
21.遊城南十六首:落花
22.遊城南十六首:楸樹,二首之一
23.遊城南十六首:楸樹,二首之二
24.遊城南十六首:風折花枝
25.遊城南十六首:贈同遊
26.遊城南十六首:贈張十八助教
27.遊城南十六首:題韋氏莊
28.遊城南十六首:?雨
29.遊城南十六首:出城
30.遊城南十六首:把酒
31.遊城南十六首:嘲少年
32.遊城南十六首:楸樹
33.遊城南十六首:遣興
34.和席八【案:?。】十二韻【案:元和十一年,?與愈同掌制誥。】
35.大行皇太后挽歌詞,三首之一【案:憲宗母莊憲皇后也。】
36.大行皇太后挽歌詞,三首之二【案:憲宗母莊憲皇后也。】
37.大行皇太后挽歌詞,三首之三【案:憲宗母莊憲皇后也。】
38.酬馬侍郎寄酒【案:馬總也。】
39.和侯協律詠筍【案:侯喜也。】




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