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邊塞詩の詩人




邊塞詩の詩人

辺塞/塞下/塞上/涼州



陳琳(ちん りん) 未詳- 217年後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。

飲馬長城窟行    易公孫?與子書
玉-037 飲馬長城窟行一首 -#1 〔陳 琳〕X漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8115
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玉集-07 秦嘉妻答詩・飲馬長城窟行・飲馬長城窟行 【字解集】  X漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8133

玉-036 飲馬長城窟行一首   -#1 〔蔡 ?〕X漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8103
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214 王 昌齢
698年?765年 中国・盛唐の詩人。字は小伯。王江寧、王竜標とも称す。
 山西省太原に本籍を持ち、陝西省西安に生まれ。727年に進士となり、秘書郎から734年に博学宏詞科に及第して水(河南省)の県補となったが、豪放磊落な生活ぶりで江寧の丞・湖南省竜標の県尉に落とされた。その後、安禄山の乱の時に官を辞して故郷に帰るが、刺使の閭丘暁に憎まれて殺された。

 詩について、当時「詩家の天子」とも呼ばれ、高適・王之渙と交遊があった。七言絶句に特に優れ、六朝時代の伝統的な辺塞詩、戦場に行かないで戦場のことを詩にし佳作が多い。閨怨詩・送別詩にも詩才を発揮した。「詩緒密にして思い清し」という評がある。詩集5巻。詩論家としても『詩格』『詩中密旨』がある。

西宮春怨 (西宮夜静百花香)  西宮秋怨 (芙蓉不及美人粧)   芙蓉楼送辛漸 (寒雨連江夜入呉)   従軍行三首(其一)(烽火城西百尺楼)   従軍行三首(其二)(青海長雲暗雪山)   従軍行三首(其三)出塞(秦時明月漢時關)   出塞行(白草原頭望京師)   閨怨 (閨中少婦不知愁)   青楼曲 (白馬金鞍從武皇)


王之渙(おうしかん)688年-742年残る詩は少なく、『全唐詩』にわずか6首を残すのみであるが、王翰(おうかん)と並んで、当時の流行歌の歌詞作者として知られていた。彼が一首詩を作ると、楽工たちが争ってそれに曲をつけたという。登鸛雀樓(白日依山盡)  涼州詞

高適 702頃〜765   
   邊塞詩   塞上聞吹笛   除夜作  燕歌行   
  ほかに   田家春望   邯鄲少年行 

王翰 (おうかん)687年 - 726年
盛唐の詩人。酒をこよなく愛し、酒を題材にした作品が多く見られる。字は子羽。晋陽の人。景雲二年(711)、進士に及第した。豪放な性格で任侠の士と交わり、酒宴と狩猟に日を送った。張説に認められて、駕部員外郎に任ぜられた。張説が失脚すると仙州別駕に左遷されたが、やはり任侠の士を集めて酒宴にふけったため、さらに道州司馬に流されて、配所で没した。
   涼州詞 二首   古長城吟(飮馬長城窟行)

  岑参

  王維

  劉禹錫 

  汪遵(おうじゅん)生没年不詳 晩唐の詩人。その作品は全唐詩にある。字等は不詳。長城(秦築長城比鉄牢)



李白






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