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漢の無名氏「西門行」



漢の無名氏「西門行」


古詩源 漢の無名氏『西門行』。
西門行
出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
歓楽街のある西門を出たのであるが、歩きながらおもいかえしてみる、今日、楽しいことはしていない、こんなことではいったいいつ楽しむことができるというのだ。
夫爲樂、爲樂當及時。
そもそも悦楽をえようというのなら、楽しむべき時に逃さないようにしないといけないのだ。
何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。
飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。
人生不滿百、常懷千歳憂。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
晝短而夜長、何不秉燭游。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
仙人の王子喬ではないから寿命を数えたところで他人と寿命時期を同じようにすることなど難しいのだ。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
王子喬のような仙人ではないから、寿命を数えたところでたかが知れたものということだ。
人壽非金石、年命安可期。
人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命ではないのた。
貪財愛惜費、但爲後世嗤。
財貨をむさぼり、出費を惜しむことだけをしたとしても、その結果はただ、後世の笑われ草、嗤となるだけのことである。



現代語訳と訳註
(本文)
西門行
出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
夫爲樂、爲樂當及時。
何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
人生不滿百、常懷千歳憂。
晝短而夜長、何不秉燭游。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
人壽非金石、年命安可期。
貪財愛惜費、但爲後世嗤。


(下し文)
西門行 【せいもんきょう】
西門を出で、歩みて之を念う、今日 樂しみを作さずんば、當【まさ】に何れの時をか待つべき。
夫れ樂しみを爲さん、樂しみを爲すには當に時に及ぶべし。
何んぞ能く坐し愁えて鬱を拂いて、當に復た來茲を待んや。
醇酒【じゅんしゅ】を飲み、肥牛【ひぎゅう】を炙り、請する心に歡ぶ所を呼べば、用って愁憂を解く可けん。
人生は百に滿たず、常に千歳の憂いを懷う。
晝【ひる】短くして夜長く、何ぞ燭游を秉らざるや。
仙人王子喬に非らざるより、計會して壽命【じゅみょう】を與に期するを難し。
仙人王子喬に非らざるより、計會して壽命【じゅみょう】を與に期するを難し。
人壽は金石に非らず、年命安くんぞ期す可けん。
財を貪【むさぼ】りて費を愛惜すれば、但 後世の嗤【わらび】と爲るのみ。


(現代語訳)
歓楽街のある西門を出たのであるが、歩きながらおもいかえしてみる、今日、楽しいことはしていない、こんなことではいったいいつ楽しむことができるというのだ。
そもそも悦楽をえようというのなら、楽しむべき時に逃さないようにしないといけないのだ。
どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。
よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
仙人の王子喬ではないから寿命を数えたところで他人と寿命時期を同じようにすることなど難しいのだ。
王子喬のような仙人ではないから、寿命を数えたところでたかが知れたものということだ。
人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命ではないのた。
財貨をむさぼり、出費を惜しむことだけをしたとしても、その結果はただ、後世の笑われ草、嗤となるだけのことである。


(訳注)
西門行
・城郭における西門は遊郭のある歓楽街の門である。この詩は時を逸せず快楽を得るものだという享楽思想を詠ったもので貴族の遊びの歌である。したがって、駢儷文のような歯切れの良さと抑揚をもって詠うものであった。

出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
歓楽街のある西門を出たのであるが、歩きながらおもいかえしてみる、今日、楽しいことはしていない、こんなことではいったいいつ楽しむことができるというのだ。


夫爲樂、爲樂當及時。
そもそも悦楽をえようというのなら、楽しむべき時に逃さないようにしないといけないのだ。


何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。
來茲 来年。句の頭に來ると、謝靈運『白石巖下徑行田詩』「天鑒儻不孤。來茲驗微誠。」來茲[読み]まさに〜すべし;応(應)〜[意味]おそらく(きっと)〜だろう。

白石巌下径行田詩 #1 謝霊運<18> 詩集 383


飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。


人生不滿百、常懷千歳憂。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
この句からは、古詩十九首其十五とおなじ。

晝短而夜長、何不秉燭游。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
・秉燭 蝋燭を手に取るのではなく、燃えていると暗くなるので燃え尽きた部分を切ると再び明るくなる。このことで「燭を秉る」とは芯を取り換えることを言い、一晩中と意味になる。ここでは昼が短いので次の夜もつないでずっとということになる。秋から冬の長い夜全部つないでと考えると味わい深い。
古風五十九首 其二十三
秋露白如玉、團團下庭香B
我行忽見之、寒早悲?促。
人生鳥過目、胡乃自結束。
景公一何愚、牛山?相續。
物苦不知足、得隴又望蜀。
人心若波瀾、世路有屈曲。
三萬六千日、夜夜當秉燭。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。

古風 其二十三 李白113


春夜宴桃李園序李白116

天地者,萬物之逆旅;
光陰者,百代之過客。

浮生若夢,爲歡幾何?
古人秉燭夜遊,良有以也。

陽春召我以煙景,大塊假我以文章。
會桃李之芳園,序天倫之樂事。
群季俊秀,皆爲惠連。
吾人詠歌,獨慚康樂。
幽賞未已,高談轉清。
開瓊筵以坐華,飛羽觴而醉月。
不有佳作,何伸雅懷?
如詩不成,罰依金谷酒斗數。

春夜桃李園宴序李白116


自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
仙人の王子喬ではないから寿命を数えたところで他人と寿命時期を同じようにすることなど難しいのだ。


自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
王子喬のような仙人ではないから、寿命を数えたところでたかが知れたものということだ。
王子喬に関する詩(1)  
謝霊運(康楽) 『登臨海?黛「疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。』 「?遇浮丘公,長?子徽音。」
あるいは、もし、山中で浮丘公のような仙人にあうようなことがあったならは、王子喬がそのまま山にとどまったように永久に君のおたよりを貰えぬことになるだろう。 
浮斤公 列仙伝に「王子喬は好んで笙を吹く。道人の浮丘公は接して以て嵩山にのぼる」。周の霊王の太子。笙を吹くことを好み、とりわけ鳳凰の鳴き声を出すことが得意だった。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。
微音 りっぱななたより。
登臨海?黛「疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-4>U李白に影響を与えた詩486 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1275

王子喬に関する詩(2)
謝靈運『石室山詩』「微戎無遠覽。總笄羨升喬。」
あの昔の微子啓と公子罷戎の同盟を結んだはるかに遠い出来事として見ることはできないし、髪の毛を束ねて役人の簪をつけたとして趙升や王子喬の仙人を羨ましがっているのだ。
微戎 微子啓(鄭の王)と罷戎(楚の公子)のこと。B.C.564閏12月、鄭が晋についたので、楚恭王は鄭を討たれ、その後楚と和睦したので、公子罷戎は鄭に使いして同盟を結んだ。・總笄 總は髪の毛を束ねること。笄はかんざし。・ 趙升のこと。漢代の仙人,生卒年均不詳,道教天師道創始者張道陵の弟子。・喬 王子喬【おうしきょう】のこと。中国、周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。
石室山詩 謝霊運(康楽) 詩<55-#2>U李白に影響を与えた詩443 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1146

王子喬に関する詩(3)
孟浩然『將適天臺,留別臨安李主簿』「羽人在丹丘,吾亦從此逝。」
仙境の道士たちは丹を練り、天台山で道を求めてしゅぎょうしている。私もまたその地へ赴いていこうとしている。
羽人 中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を指す。羽人、僊人ともいう。道教の不滅の真理である、道(タオ)を体現した人とされる。○丹丘 胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に?霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝?をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、12首もある。
「楚辞」遠遊に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。
將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -333


王子喬に関する詩(4)
李白『古風五十九首 其七』「兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。」
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
○白玉童 白玉のような清らかな顔の童子。○紫鸞笙 王子喬という仙人は笙の名手であったが、かれの笙は紫檀で鳳翼にかたどって製ってあった。鸞は、鳳風の一種。

古風五十九首 其七 李白108/350


人壽非金石、年命安可期。
人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命ではないのた。


貪財愛惜費、但爲後世嗤。
財貨をむさぼり、出費を惜しむことだけをしたとしても、その結果はただ、後世の笑われ草、嗤となるだけのことである。