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  韓愈の生涯  

5-4 進学の解



第五章 中央朝廷へ復帰  5-4 進学の解 元和七(812)年〜元和八(813)年《45〜46歳》


進学の解

 元和七年(812)、愈が四十五歳になった二月、国子博士に降任する旨の命令を受けた。
 もとを考えれば、身から出た錆であった。誰をとがめることもできないのだが、愈は不満でならない。披の語調にはまた絶望的な色彩が濃くなる。《昌黎先生集/卷12-3進學解》
《昌黎先生集/卷5-12贈劉師服》  P657
贈劉師服
羨君齒牙牢且潔,大肉硬餅如刀截。我今呀豁落者多,所存十余皆兀?。
匙抄爛飯穩送之,合口軟嚼如牛?。妻兒恐我生悵望,盤中不?栗與梨。
只今年才四十五,後日懸知漸莽鹵。朱顏皓頸訝莫親,此外諸余誰更數。
憶昔太公仕進初,口含兩齒無贏余。虞翻十三比豈少,遂自?恨形於書。
丈夫命存百無害,誰能檢點形骸外。巨緡東釣?可期,與子共飽鯨魚膾。
羨む 君が歯牙の牢く且つ潔きを
大肉・硬餅も刀もて截るが如し
我 今 豚前として落つる者多し
存する所の十余も皆冗籤たり
さじ  らんぱん すく  しづ
匙もて爛飯を抄ひて穏かにこれを送り
口に含みて軟かに嘔むこと牛の閥むが如し


丈夫 命存せば百も害無し
誰能検点形骸外
巨辨東釣佩可期
与子共飽鯨魚膀
誰かぎく釈脱の斑を検点せんや
目瓶もて東に釣ること 彰し期すずくんば
只と共に貳沢の胆げかかん
           (韓文五、劉師服に贈る)
 君の歯の堅くてきれいなのがうらやましい。大きな肉も硬い餅も、刀で切るように喧み切ってしまう。私は今、ロの中ががらんとしてしまった。抜けた歯が多いのだ。残っている十本あまりも、全部ぐらぐらしている。匙で粥をすくい、静かに口の中へ流しこみ、ロに含んでゆっくりと噛む。牛が沢紺するように。……だが、男子たる者、命さえあるなら何もさしつかえはない。外に現れた
肉体のことなど、かまっていられるものか。大きな釣竿で東海に釣ることが、もし期待できるものなら、君と鯨のなますを腹いっぱい食べることにしよう。
 最後は壮大に「丈夫の気」の存することを示そうとしているが、結局は世俗の価値観から離れた自適の生活への誘惑が、彼の心を占めていたのである。 彼は何度もこのような願望を口にするのだが、ほんとうに実行したことは一度もなかった。それには経済上の理由もあったろうが、一方では、ここで自分が身を引くのは「聖人の道」の敗北と考える、気負った態度も原因となっていたであろう。この年の末か翌年の初め、彼は「進学の解」 (韓文一二)を書いて自分の立場を明らかにした。
  「進学の解」は国子博士の彼と学生との問答の形で書かれたものである。例によって、架空の問答かもしれない。しっかり勉強するかよい、勉強さえすれば、いつかは成功すると説教する彼に対して、学生は嘲笑して言う。先生は常に学問に専心し、文章を作れば、上は『書経』から『春秋左氏伝』『易経』『詩経』、さらには『荘子』『楚辞』『史記』そして司馬相如・揚雄に至るまで、すベてを体得し、自分のものとして表現する。しかも、若いころに学問を習い姶めてから、それを現実に適応させるのに思いきった決断を示す。「先生の人となりにyける、成れりと貧ふずし」。しかるに先生は役人として成功せす、頭は禿げ歯のぬける年になっても、「冬暖かなりとも児は寒さに号き、年は豊かなりとも妻は飢ゑに啼く」ありさまである。それが勉強せよと説教したところで、誰が信用するものか。
 この嘲笑に、愈は答える。人間にはそれぞれ長所と短所があり、適材を適所に用いるのが宰相の任務である。しかし、孟子や萄子のような「優に聖域に入る」人物さえ、ついに志を得ぬまま没した。 「今、先生は、学、勤めたりと雖も其の統(系統)に鳥らず、言は多しと雖も其の中を求めず、文は奇なりと雖も用を済さす、行ひは修めたりと雖も衆に顕れす」。それでも国家の俸禄を食み、天子や宰相から処罰も受けないのは、幸いの至りである。この年になっていまだに国子博士の閑職にあるのも、自分には適当なところなのだ。
 一篇の趣意は、おだやかな反省のように見える。だが、その裏に流れるのは、自己の文学に対する強烈な信念であった。彼は学生のロを借りて、わが文章の根本を説きあかす。それは今の世において「用を済さぬ」ものであるか、実は文学の本道なのであり、上古の聖賢の世には、まさしく 「用を済した」ものであった。用を済さなくなったのは、時勢の方が悪いのである。自分はその時勢に随順することができない。そうした白分を認め得ず、孟子や菊子と同じ運命をたどらせ、適材を適所に用いないのは、宰相の貴任だ。結局は、そこが彼の言いたいところであったと考えられる。
とすれM’ 99狙いは適中した。時の宰相(当時の宰相は複数制であった)、武元衡・李吉甫・李絡らの人々がこの文章を読み、感心したのである。特に感心したのは、彼の文才であったらしい。翌元和八年(ハー三)、四十六歳になった愈は、三月、比部郎中兼史館修撰に任ぜられた。比部は刑部に属し、罰金などの事務を担当する。郎中は、いままでに彼が歴任した員外郎より}階級上の地位で、比部では最高責任者である。日本風にいえば、ます課長といったところであろう。兼任の史館修撰とは、国史の編纂官である。

802年貞元十八年に国子四門博士(大学教授)となって以来十余年、一時監察御史に出たほか、三度博士に任ぜられ、813年元和八年以後しきりに左遷されていた韓退之は、この文章を作って、学殖がありながら世に用いられない一人の博士の自己弁明を滑稽に述べたのである。
題して「学問を進めるための解明文」という。この解も漢の揚雄の「解嘲」に倣った問答体の俳諧文で、韻を踏んだ賦に似た形式もその系統をあらわしている。揚雄は「太玄経」を著したが、ある人から「玄(幽玄な哲学) を説くには、尚、彼の徳は白(素白、浅薄)である」といわれた。玄と白との語言上の戯れであるが、この嘲(からかい)を解くための文章という意味で 「解嘲」と題した。これは漢の東方朔の「答客難」に倣ったものであるが、後漢の班国は、またこれをうけて「答賓戯」を作った。『文選』には「設諭」体の三篇としてこれらを収載している。韓愈はこれを継いだのである。


《昌黎先生集/卷5-12贈劉師服》

贈劉師服
羨君齒牙牢且潔,大肉硬餅如刀截。我今呀豁落者多,所存十余皆兀?。匙抄爛飯穩送之,合口軟嚼如牛?。妻兒恐我生悵望,盤中不?栗與梨。只今年才四十五,後日懸知漸莽鹵。朱顏皓頸訝莫親,此外諸余誰更數。憶昔太公仕進初,口含兩齒無贏余。虞翻十三比豈少,遂自?恨形於書。丈夫命存百無害,誰能檢點形骸外。
巨緡東釣?可期,與子共飽鯨魚膾。


《昌黎先生集/卷12-3進學解》
進學解
國子先生晨入太學,招諸生立館下,誨之曰:「業精於勤,荒於嬉;行成於思,毀於隨。方今聖賢相逢,治具畢張,拔去凶邪,登崇o良。占小善者率以?,名一藝者無不庸,爬羅剔抉,刮垢磨光。蓋有幸而獲選,孰云多而不揚。諸生業患不能精,無患有司之不明,行患不能成,無患有司之不公。」

言未既,有笑於列者曰:「先生欺余哉!弟子事先生,於茲有年矣。先生口不?吟於六藝之文,手不停披於百家之編。記事者必提其要,纂言者必鉤其玄。貪多務得,細大不捐,焚膏油以繼?,恆兀兀以窮年。先生之業,可謂勤矣。抵排異端,攘斥佛老。補苴罅漏,張皇幽眇。尋墜緒之茫茫,獨旁搜而遠紹。障百川而東之,回狂瀾於既倒。先生之於儒,可謂有勞矣。沈浸?郁,含英咀華。作為文章,其書滿家。上規姚?。渾渾無涯。《周誥》《殷盤》,佶屈?牙。《春秋》謹嚴,《左氏》浮誇。《易》奇而法,《詩》正而葩。下逮《莊》《騷》,太史所?,子雲相如,同工異曲。先生之於文,可謂?其中而肆其外矣。少始知學,勇於敢為:長通於方,左右具宜。先生之於為人,可謂成矣。然而公不見信於人,私不見助於友,跋前躓後,動輒得咎。暫為御史,遂竄南夷;三年博士,冗不見治。命與仇謀,取敗幾時。冬煖而兒號寒,年豐而妻啼饑。頭童齒豁,竟死何裨!不知慮此,而反教人為?」

先生曰:「吁!子來前,夫大木為?,細木為桷,?櫨侏儒,???楔,各得其宜,施以成室者,匠氏之工也;玉?丹砂,赤箭青芝,牛溲馬勃,敗鼓之皮,?收並蓄,待用無遺者,醫師之良也;登明選公,雜進巧拙,紆餘為妍,卓犖為傑,校短量長,惟器是適者,宰相之方也。昔者孟軻好辯,孔道以明,轍環天下,卒老於行;荀卿守正,大論是宏,逃讒於楚,廢死蘭陵。是二儒者,吐辭為經,舉足為法,?類離倫,優入聖域。其遇於世何如也?今先生學雖勤而不?其統,言雖多而不要其中,文雖奇而不濟於用,行雖修而不顯於?,猶且月費俸錢,?靡廩粟,子不知耕,婦不知織,乘馬從徒,安坐而食,踵常途之促促,窺陳編以盜竊。然而聖主不加誅,宰相不見斥,茲非其幸歟!動而得謗,名亦隨之,投閑置散,乃分之宜。若夫商財賄之有亡,計班資之崇?,忘已量之所稱,指前人之瑕疵,是所謂詰匠氏之不以杙為楹,而?醫師以昌陽引年,欲進其?苓也。」


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 (812)
1.贈劉師服【贈劉師命】
2.寄崔二十六立之
3.和崔舍人詠月二十韻【舍人,崔群也。愈元和七年,以職方員外郎下遷國子博士,此詩是其年八月作。】
4.石鼎聯句【劉師服(進士)、侯喜(字叔退,登貞元進士第,官終國子主簿)、軒轅彌明】
5.卷12-3進學解
6.卷5-12贈劉師服


(813)
1.桃源圖
2.送進士劉師服東歸
3.送劉師服
4.雪後寄崔二十六丞公【斯立。】
5.奉和武相公鎮蜀時,詠使宅韋太尉所養孔雀【武元衡、韋皋也。】
6.讀東方朔雜事【《漢武帝?傳》:「帝好長生。七夕,西王母降其宮,索桃七枚,以四枚與帝,自食三枚,曰:『此桃三千年一實。』時東方朔從殿東廂朱鳥?中窺母。母謂帝曰:『此窺?兒嘗三來?吾桃。昔為太山上仙官,令到方丈,擅弄雷電,激波揚風,風雨失時,陰陽錯?,致令蛟鯨陸行,海水暴竭。?鳥宿淵,於是九潦丈人乃言於太上,遂謫人間。』其後朔一旦乘龍飛去,不知所在。」】
7.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:新亭【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
8.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:流水【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
9.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:竹洞【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
10.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:月臺【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
11.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:渚亭【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
12.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:竹溪【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
13.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:北湖【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
14.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:花島【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
15.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:柳溪【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
16.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:西山【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
17.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:竹逕【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
18.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:荷池【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
19.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:稻畦【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
20.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:柳巷【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
21.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:花源【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
22.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:北樓【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
23.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:鏡潭【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
24.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:孤嶼【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
25.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:方橋【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
26.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:梯橋【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
27.奉和?州劉給事使君【伯芻。】三堂新題二十一詠:月池【劉伯芻以元和八年出刺?州。】
28.和武相公早春聞鶯
29.遊太平公主山莊【此首前有〈太安池〉一首,闕不載。洪邁《唐人?句》,此首題即作。】
30.?春
31.酬藍田崔丞立之詠雪見寄【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】






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