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        曹植詩65首訳注解説 目次  

曹植詩65首訳注解説 目次



曹 植(そう しょく/そう ち、192年 - 232年)は、中国後漢末期から三国時代にかけての人物。魏の皇族。豫州沛国?県(現在の安徽省亳州市)の出身。陳王に封じられ、諡が思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた。才高八斗(八斗の才)・七歩の才の語源。建安文学の三曹の一人。

 曹植(曹子建)詩 65首 《玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五》
1 ゼン篇 古詩源 巻五 38 贈丁ヨク #1 文選 贈答二 58 桂之樹行#1 古詩源 巻五
2 鰕?篇 古詩源 巻五
贈丁ヨク # 古詩源 巻五
桂之樹行#2 古詩源 巻五
3 情詩 古詩源 巻三 39 泰山梁父行 古詩源 巻五 59 當欲游南山行#1 古詩源 巻五
4 雜詩六首 其一 古詩源 巻三 40 箜篌引 #1 古詩源 巻五
當欲游南山行#2 古詩源 巻五
5 雜詩六首 其二 古詩源 巻三    箜篌引 #2 古詩源 巻五 60 妾薄命二首 其一 古詩源 巻五
6 雜詩六首 其三 古詩源 巻三 
箜篌引 #3 古詩源 巻五 61 妾薄命二首其二#1 古詩源 巻五
7 雜詩六首 其四 古詩源 巻三 41 鬥鷄 #1 古詩源 巻五
妾薄命二首其二#2 古詩源 巻五
8 雜詩六首 其五 古詩源 巻三 
鬥鷄 #2 古詩源 巻五
妾薄命二首其二#3 古詩源 巻五
9 雜詩六首 其六 古詩源 巻三 42 白馬篇 #1 古詩源 巻五 62 吁嗟篇 #1 古詩源 巻五
10 三良詩 文選 詠史
白馬篇 #2 古詩源 巻五
吁嗟篇 #2 古詩源 巻五
11 朔風 (一章) 文選 雑詩 上
白馬篇 #3 古詩源 巻五
吁嗟篇 #3 古詩源 巻五
12 朔風 (二章) 文選 雑詩 上 43 怨歌行 #1 古詩源 巻五 63 上責躬應詔詩表# 文選 上 献詩
13 朔風 (三章) 文選 雑詩 上
怨歌行 #2 古詩源 巻五
上責躬應詔詩表#2 文選 上 献詩
14 朔風 (四章 文選 雑詩 上 44 美女篇 #1 古詩源 巻五
上責躬應詔詩表#3 文選 上 献詩
15 朔風 (五章) 文選 雑詩 上
美女篇 #2 古詩源 巻五
上責躬應詔詩表#4 文選 上 献詩
16 喜雨 古詩源 巻三
美女篇 #3 古詩源 巻五
上責躬應詔詩表#5 文選 上 献詩
17 公讌 古詩源 巻三 45 棄婦篇 #1 古詩源 巻五
上責躬應詔詩表#6 文選 上 献詩
18 芙蓉池作 文選 遊覧
棄婦篇 #2 古詩源 巻五
上責躬應詔詩表#7 文選 上 献詩
19 贈徐幹 (1)  文選 贈答二
棄婦篇 #3 古詩源 巻五 64 責躬詩 ー#1 文選 上 献詩

贈徐幹 (2) 文選 贈答二 46 名都篇 #1 古詩源 巻五
責躬詩 ー#2 文選 上 献詩

贈徐幹 (3) 文選 贈答二
名都篇 #2 古詩源 巻五
責躬詩 ー#3 文選 上 献詩
20 送應氏二首 其一 文選 祖餞 
名都篇 #3 古詩源 巻五
責躬詩  ―#4 文選 上 献詩
21 送應氏二首 其一 文選 祖餞 47 薤露行 -#1 古詩源 巻五 
責躬詩 ー#5 文選 上 献詩
22 送應氏二首 其二 文選 祖餞
薤露行 -#2 古詩源 巻五
責躬詩 ー#6 文選 上 献詩
23 送應氏二首 其二 文選 祖餞 48 遠游篇 #1 曹子建集卷第六
責躬詩 ー#7 文選 上 献詩
24 七哀詩 #1 文選 哀傷
遠游篇 #2 曹子建集卷第六
責躬詩 ー#8 文選 上 献詩

七哀詩 #2 文選 哀傷 49 盤石篇 -#1 古詩源 巻五
責躬詩 ー#9 文選 上 献詩
25 雑詩其四(閨情詩)-#1 玉台新詠 巻二
盤石篇 -#2 古詩源 巻五
責躬詩 ー#10 文選 上 献詩

雑詩其四(閨情詩)-#2 玉台新詠 巻二
盤石篇 -#3 古詩源 巻五
責躬詩 ー#11 文選 上 献詩
26 七歩詩 古詩源 巻五 50 盤石篇 -#4 古詩源 巻五
責躬詩 ー#12 文選 上 献詩
27 贈丁儀 #1 文選 贈答二 51 野田黄雀篇 古詩源 巻五
責躬詩 <まとめ> 文選 上 献詩

贈丁儀 #2 文選 贈答二 52 種葛篇 #1 古詩源 巻五 65 應詔詩 -#1 文選 上 献詩
28 贈王粲 -#1 文選 贈答二
種葛篇 #2 古詩源 巻五
應詔詩 -#2 文選 上 献詩

贈王粲 -#2 文選 贈答二
種葛篇 #3 古詩源 巻五
應詔詩 -#3 文選 上 献詩
29 又贈丁儀王粲 -#1 文選 贈答二 53 浮萍篇 -#1 古詩源 巻五
應詔詩 -#4 文選 上 献詩

又贈丁儀王粲 -#2 文選 贈答二
浮萍篇 -#2 古詩源 巻五
應詔詩 -#5 文選 上 献詩
30 贈白馬王彪 序 文選 贈答二 
浮萍篇 -#3 古詩源 巻五
應詔詩 -#6 文選 上 献詩
31 贈白馬王彪 其一 文選 贈答二 54 當牆欲高行 古詩源 巻五
應詔詩 <まとめ> 文選 上 献詩
32 贈白馬王彪 其二 文選 贈答二 55 當來日大難 古詩源 巻五
33 贈白馬王彪 其三 文選 贈答二 56 聖皇篇 -#1 古詩源 巻五
34 贈白馬王彪 其四 文選 贈答二
聖皇篇 -#2 古詩源 巻五
35 贈白馬王彪 其五-#1 文選 贈答二
聖皇篇 -#3 古詩源 巻五

贈白馬王彪 其五-#2 文選 贈答二
聖皇篇 -#4 古詩源 巻五
36 贈白馬王彪 其六 文選 贈答二
聖皇篇 -#5 古詩源 巻五
37 贈白馬王彪 其七 文選 贈答二
門有萬里客 古詩源 巻五





漢詩の詩型の一つである五言詩は、後漢の頃から次第に制作されるようになるが、それらは無名の民衆や彼らに擬した文学者が、素朴な思いを詠った歌謡に過ぎなかった。しかし後漢末建安年間から、それまでの文学の主流であった辞賦に代わり、父や兄、または王粲・劉驍轤フ建安七子によって、個人の感慨や政治信条といった精神を詠うものとされるようになり、後世にわたって中国文学の主流となりうる体裁が整えられた。彼らより後に生まれた曹植は、そうした先人たちの成果を吸収し、その表現技法をさらに深化させた。

曹植の詩風は動感あふれるスケールの大きい表現が特徴的である。詠われる内容も、洛陽の貴公子の男伊達を詠う「名都篇」や、勇敢な若武者の様子を詠う「白馬篇」のように勇壮かつ華麗なもの、友人との別離を詠んだ「応氏を送る」二首や、網に捕らわれた雀を少年が救い出すという「野田黄雀行」、異母弟とともに封地へ帰還することを妨害された時に詠った「白馬王彪に贈る」、晩年の封地を転々とさせられる境遇を詠った「吁嗟篇」などのように悲壮感あふれるもの、「喜雨」・「泰山梁甫行」など庶民の喜びや悲しみに目を向けたものなど、先人よりも幅広く多様性に富んでいる。梁の鍾エは、『詩品』の中で曹植の詩を最上位の上品に列し、その中でも「陳思の文章に於けるや、人倫の周孔(周公旦・孔子)有るに譬う」と最上級の賛辞を送っている。

なお、曹丕から「七歩歩く間に詩作せよ」、と命じられて詠んだという逸話(『世説新語』文学篇より)で有名な「七歩詩(中国語版)」は、現在真作としない見方が有力である。また彼の最高傑作ともいわれる「洛神の賦」は、曹丕の妃である甄氏への恋慕から作ったという説もあるが[6]、疑わしい。  


名都篇 #1
名都多妖女,京洛出少年。
大都会にはなまめかしい婦人が多い。ここ洛陽には青年が出没する。
寶劍直千金,被服麗且鮮。
彼らは千金の高値な宝剣をもち、奇麗できらきらかがやき、その上色もあざやかな衣服をまとう。
鬥?東郊道,走馬長楸間。
時には、東の郊外の道で闘鶏をやり、時には、長い板の並木道で乗馬をする。
馳驅未能半,雙兔過我前。
今日もあちこちへ疾駆している途中、二匹の兎が馬前を走るのを見つけた。
攬弓捷鳴鏑,驅上彼南山。
弓を手にとり、かぶら矢を腰の帯にたばさんで、遠く南の山まで追いあげるのである。
左挽因右發,一縱雙禽連。
曲芸のような射法もやるのは左に引いて、右から矢をはなつかとおもうと、一発で二匹とも射とめてしまうのだ。
余巧未及展,仰手接飛鳶。
その腕前であってもまだ十分に発揮したのではないという、そこで手を高くあげ、飛んでくる鳶を射るのである。
觀者咸稱善,?工歸我妍。
見ていた人たちはみな声をそろえてほめそやす、多く入る弓矢の使い手の巧者連も、賞讃の言葉をおくるのである。
歸來宴平樂,美酒斗十千。
それが済むと帰って来て、平楽殿で宴会をひらくのである。そこに出される美酒は一斗で一万銭もするということなのだ。
膾鯉?胎?,炮?炙熊?。
鯉をなますの刺身にし、子持ちのえびを吸物にする。またすっぽんを包み焼きにし、熊の掌をあぶりやきにする。
鳴儔嘯匹侶,列坐竟長筵。
友達どうしで呼びかわしたり、気勢を上げ、口笛を吹き、一同長椅子にいならんで、長くしいた竹むしろにいっぱいにあつまった。
連翩?鞠壤,巧捷惟萬端。
今度は遊戯で、彼らは飛鳥の毛まりをけったり、木あてをする。その巧妙さで敏捷さ、まことにあらゆるわざをそなえている。
白日西南馳,光景不可攀。
真昼の太陽が西南に傾きだすと、彼らはちりぢりになって、引き留めることはできないだろう。
雲散還城邑,清晨復來還。
雲を散らしたように町なかへ帰って行くのであり、また明日の早朝には、また彼らの遊び場にもどって来るのである。

名都篇 #1
名都 妖女多く、京洛 少年を出す。
宝剣 千金に直し、被服 光き且つ鮮かなり。
鶏を闘わす 東郊の道、馬を走らす 長楸【ちょうしゅう】の間。
馳騎【ちてい】未だだ半ばなる能わざるに、双免 我が前を過ぐ。
#2
弓を携りて鳴鏑【めいてき】を捷【はさ】み、長駆して南の山に上る。
左に挽き因って右に発し、一たび縦【はな】てば 両禽【りょうきん】連なる。
余巧 未だ展【の】ぶるに及ばず、手を仰ぎて飛鳶【ひえん】を接【い】る。
観る者 咸【み】な善しと稱し、衆工 我に妍【けん】を帰す。
帰り来りて平楽に宴す、美酒 斗 十千なり。
#3
鯉を臍【なます】にし 胎?【たいか】を?【あつもの】にし、?【べつ】を炮【い】り熊?【ゆうはん】を炙【あぶ】る。
儔【とも】に鳴き 匹侶【ひつりょ】に嘯【うそぶ】き、坐に列して長筵【ちょうえん】に竟【わた】る。
連翩【れんべん】として鞠【きく】と壤【じょう】を撃ち、巧捷【こうしょう】惟れ万端なり。
白日 西南に馳せ、光景 攀【とど】む可からず。




名都篇
○名都篇 大都会の若者の歌。「楽府詩集」では、雄曲歌辞に列する。題名は首旬よりとる。この篇の主題は、都会の青年の豪奢放恣生活を諷刺するにある。国を思う気持ちのないことを謗るものである。名都とは大都会の意味だが、ここでは首都洛陽が舞台となっている。この節の制作年代は、建安年間と推定される。少し長いので三段に分ける。


名都多妖女,京洛出少年。
大都会にはなまめかしい婦人が多い。ここ洛陽には青年が出没する。
〇妖女 艶麗な婦人。
○京洛 洛陽をさす。
○少年 若者


寶劍直千金,被服麗且鮮。
彼らは千金の高値な宝剣をもち、奇麗できらきらかがやき、その上色もあざやかな衣服をまとう。
〇直 ねうちがある。高値なもの。
○麗且鮮 奇麗できらきらかがやき、その上色もあざやか。


鬥?東郊道,走馬長楸間。
時には、東の郊外の道で闘鶏をやり、時には、長い板の並木道で乗馬をする。
○闘鶏 鷄を戦わせる遊戯、賭博もおこなわれた。闘鶏の歴史はかなり古く、紀元前515年「春秋左伝」昭公二十五年の条に見えるし寒食にこのあそびが行われると記載する。収穫の占いが起源で、当時は闘鶏が盛んに行われた。
鬥鷄 曹植 魏詩<51-#1>楽府 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2008。
〇長楸 長くつづく漱(和名ヒサギ)の列。鰍は梓に同じ、落葉の喬木。ここでは稗道にうえた並木。


馳驅未能半,雙兔過我前。
今日もあちこちへ疾駆している途中、二匹の兎が馬前を走るのを見つけた。
○馳驅 両字ともに疾走する恵。


攬弓捷鳴鏑,驅上彼南山。
弓を手にとり、かぶら矢を腰の帯にたばさんで、遠く南の山まで追いあげるのである。
〇捷 帯の間か、えびらにさすこと。
○鳴鏑 かぶら(鏑)矢のこと。
○南山 普通は長安の南にある終南山をさすが、ここは洛陽の南の山のこと。


左挽因右發,一縱雙禽連。
曲芸のような射法もやるのは左に引いて、右から矢をはなつかとおもうと、一発で二匹とも射とめてしまうのだ。
○左挽因右發 一種の曲芸のような射法。左手で弓のつるをひいて、しかも右の方から射る(右左逆になる。右前で両腕が交差する。)こと、これを左右でやる。若者の戯れと勇気の自慢。
○縦 矢をはなつ。
〇両禽 二匹の兎をいう。禽は鳥獣の絵名。


余巧未及展,仰手接飛鳶。
その腕前であってもまだ十分に発揮したのではないという、そこで手を高くあげ、飛んでくる鳶を射るのである。
○接 飛来するもの迎ええて射ること。
○蔦 とび。


觀者咸稱善,?工歸我妍。
見ていた人たちはみな声をそろえてほめそやす、多く入る弓矢の使い手の巧者連も、賞讃の言葉をおくるのである。
○咸稱善 咸【みな】善【よい】と稱【ほめ】る。
○衆工 多くの巧者たち。
○歸我妍 私に上手だと芸の言葉をおくる。帰は贈る。折は好しと同じ。


歸來宴平樂,美酒斗十千。
それが済むと帰って来て、平楽殿で宴会をひらくのである。そこに出される美酒は一斗で一万銭もするということなのだ。
○平楽 宮殿の名。上林苑にあって、後漢の明帯が造営した。
○斗十千 一斗の値段が一万銭。豪奢なさまをのべたもの。

上林苑(じょうりんえん)とは、古代中国の秦、前漢の皇帝のための大庭園である。咸陽、長安の南方に広がっていた。
『三輔黄図』によると元は秦の庭園であり、漢の武帝の建元3年(紀元前138年)、遊猟を好む武帝がしばしば上林苑の敷地内を越えて民の土地に足を踏み入れるようになって民を苦しめていたため、武帝が吾丘寿王に命じて費用を計算させて拡大し、周囲300里の広大な庭園となった。
上林苑の中には70箇所もの離宮があり、それはどれも馬車一千台、騎一万を収容できるほどの大きさだった。また多種多様な獣が飼われ、皇帝が秋、冬に猟を行ってその獣を取った。また武帝が上林苑を拡大した際に、群臣に命じて各地の珍しい植物や果樹を献上させ、それらを栽培した。
また茂陵の富民袁広漢は珍しい動物や植物を集め、砂浜や激流を人工的に作り、建物を全て廊下で繋いであるという豪壮な庭園を造っていたが、後に罪があって誅殺されるとこれも官有の庭園とされ、動植物は上林苑に移された。
上林苑には上林令、上林尉などの役人が置かれ、飼っている動物の種類や数を管理し、記録していた。また上林苑内には6つの池や10以上の宮殿などがあった。
武帝の元鼎2年(紀元前115年)に水衡都尉の官が置かれ、上林苑を管轄することとなった。上林令、上林尉も水衡都尉の属官となっている。また武帝が民間で五銖銭を鋳造することを禁止すると、銭の鋳造は水衡都尉の属官である均輸、鍾官、弁銅の三官が独占して行うこととされた。これは上林三官と呼ばれた。
後漢の時代になると、都が洛陽に置かれたため前漢の上林苑は使われておらず、洛陽西方に上林苑が置かれている。




膾鯉?胎?,炮?炙熊?。
鯉をなますの刺身にし、子持ちのえびを吸物にする。またすっぽんを包み焼きにし、熊の掌をあぶりやきにする。
○膾 なますのさしみにする。日本のような刺身はない。膾鯉「詩経」小雅、六月に「鼈を炮(包焼)き鯉を膾す。」と見える。
○? 汁の少い肉の吸物、ここでは動詞に用いる。
○胎? 胎は子持ちの。とであろう、?は蝦に同じ。
○炮? 亀のつつみ焼き。
○熊? 熊の手のこと。珍味とされる。


鳴儔嘯匹侶,列坐竟長筵。
友達どうしで呼びかわしたり、気勢を上げ、口笛を吹き、一同長椅子にいならんで、長くしいた竹むしろにいっぱいにあつまった。
○鳴儔嘯匹侶 仲間どうして、呼びかけあったり、口笛を吹いたりすること。相互の親しさをあらわしたもの。儔も匹侶も、仲間の意味。嘯は口笛を吹く。鳴というから、多少の奇声は発したのかも知れない。
○竟長筵 長い筵席に一ばいになること。竟は尽と同じ、うめつくすこと。筵はたかむしろ、即ち竹であんだむしろのこと。


連翩?鞠壤,巧捷惟萬端。
今度は遊戯で、彼らは飛鳥の毛まりをけったり、木あてをする。その巧妙さで敏捷さ、まことにあらゆるわざをそなえている。
○連翩 鳥のように敏捷に身をひるがえす意。また次から次へとの意。
○?鞠壤 毛毬に毛を固くつめたまりをけったり、木あてをしたりする。?鞠も?壤もともに昔の遊戯であり、?壤とは、壤の形をした木片(これを壤という。)を二つ作り、一つを地上におき、他の一つを三四十歩のところから投げてあてるあそび(「太平御覧」にひく「芸経」に見える)。或はフットボールに、ポロとバレーを兼ねたような球戯もある。
○巧捷 巧妙かつ俊敏。
○惟 強めの助字。
○万端 千変万化ですべてを具備する。


白日西南馳,光景不可攀。
真昼の太陽が西南に傾きだすと、彼らはちりぢりになって、引き留めることはできないだろう。
○光景 日月をいうが、ここではすぎ去る時間をさす。
○攀 ひきとめる。


雲散還城邑,清晨復來還。
雲を散らしたように町なかへ帰って行くのであり、また明日の早朝には、また彼らの遊び場にもどって来るのである。
○雲散 雲のようにちらはる。
○城邑 まち。
○來還 散らばっていた若ものたちの遊び場に、かえってくる。
宮島(8)