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韓愈ものがたりと作品


韓愈ものがたり と 韓愈詩年譜


第一章 科挙への道と挫折
1.-1. 家 系 大暦三(768)年〜大暦四(769)年〈1〜2歳》 
1.-2. 父の死 大暦五(770)年〜大暦八(773)年〈3〜6歳》 
1.-3. 兄の死 大暦九(774)年〜貞元元(785)年〈7〜18歳》
1.-4. 科挙への道 貞元二(786)年〈19歳〉
1.-5. 衣食の道 貞元ニ(786)年〜貞元三(787)年《19〜20歳》 
1.-6. 最初の挫析 貞元三(787)年〜貞元六(790)年《20〜23歳》 
1.-7. 進士及第 貞元七(791)年〜貞元八(792)年〈24〜25歳〉
1.-8. 第二の挫折 貞元八(792)年〜貞元一〇(794)年〈25〜27歳》 
1.-9. 自負と失意と 貞元十一(795)年《28歳〉  


第二章 幕僚生活から四門博士
2.-1. 幕僚生活 貞元十二(796)年〜貞元十五(799)年《29〜32歳》
2.-2. 再び幕僚生活 貞元一六(800)年《33歳〉
2.-3. 四たび吏部の試 貞元一七(801)年〈34歳》 
2.-4. 四門博士 貞元一八(802)年〈三五歳〉


第三章 陽山への貶謫と中央朝廷へ復帰の道と、韓愈の一門
3.-1. 監察御史 貞元一九(803)年〈三六歳》
3.-2. 第三の挫折 貞元一九(803)年〜貞元ニ○(804)年《36〜37歳》 
3.-3. 荊蛮の地 貞元二一(805)年〜元和元(806)年《38〜39歳》 


第四章 永貞革新と韓愈一門
4.-1. 永貞事件  永貞元(805)年八月
 一 永貞革新とその経緯
 二 永貞革新集団と春秋学
 三 『春秋』と大中の説
 四 大中の説と堯・舜の治績
4-2. 順宗実録


第五章 中央朝廷へ復帰
5.-1. 国子博士 元和元(806)年〜元和三(808)年《39〜41歳》 
5.-2. 河南県令 元和四(809)年〜元和五(810)年《42〜43歳》 
5.-3. 送 窮 元和六(811)年《44歳》 
5.-4. 進学の解 元和七(812)年〜元和八(813)年《45〜46歳》 
5.-5. 処世の術 元和八(813)年〜元和九(814)年《46〜47歳》 


第六章 「平淮西碑」から「論佛骨表」
6.-1. 淮西の乱 元和一〇(815)年《48歳》 
6.-2. 太子右庶子 元和一一(816)年《49歳》 
6.-3. 栄達への道 元和一二(817)年〜元和一三(818)年《50〜51歳》 
6.-4. 平淮西碑論佛骨表 元和一四(819)年《52歳》 
6.-5. 潮州への道 元和一四(819)年《52歳》 


第七章 潮州左遷から晩年
7.-1. 潮州にて 元和一四(819)年《52歳〉
7.-2. 袁州刺史 元和一五(820)年《53歳〉




第八章 ふたたび長安へ、そして晩年
8.-1. 長安への道 元和一五(820)年《53歳》 
8.-2. 国子祭酒 長慶元(821)年《54歳〉 
8.-3. 吏部侍郎 長慶二(822)年《55歳〉 
8.-4. 京兆の尹 長慶三(833)年《56歳〉 
8.-5. 晩 年 長慶四(834)年《57歳》




index-1 青年期・孟郊、張籍と交遊・べん州の乱に遭遇  
   779年 兄韓會に随って韶州に遷る。初めての嶺南行  
   785年; 貞元元年・18歳  
1   芍藥歌【王司馬紅芍藥歌】【案:見《外集》。】 丈人庭中開好
花,
   786年貞元2年 19歳  
2   出門 長安百萬家,
3   條山蒼 條山蒼,
   787年貞元3年 20歳  
4   烽火 登高望烽火,
   788年貞元4年 21歳  
5   落葉送陳羽 落葉不更息,
   791年貞元7年 24歳  
6   北極贈李觀#1 北極有羈羽,
6   北極贈李觀#2 我年二十五
   793年貞元9年 26歳  
7   長安交遊者贈孟郊 長安交遊者,
8   岐山下,二首之一【案:朱熹考異曰:「諸本只作一首。」方云:「自日暮
邊火驚以上為一篇,世有《灌畦暇語》一書,謂子齊初應舉,韓公賞之,
為作丹穴五色羽。子齊姓程,字昔範,嘗著《中謨》三卷,見《因話?》,
則下詩似當為別篇,第前詩題以岐山下,此入遊鳳翔日作。」】
誰謂我有耳,
9   岐山下,二首之二【案:朱熹考異曰:「諸本只作一首。」方云:「自日暮
邊火驚以上為一篇,世有《灌畦暇語》一書,謂子齊初應舉,韓公賞之,
為作丹穴五色羽。子齊姓程,字昔範,嘗著《中謨》三卷,見《因話?》,
則下詩似當為別篇,第前詩題以岐山下,此入遊鳳翔日作。」】
丹穴五色羽,
10   青青水中蒲,三首之一 青青水中蒲,
11   青青水中蒲,三首之二 青青水中蒲,
12   青青水中蒲,三首之三 青青水中蒲,
13   孟生詩【孟先生詩】【案:孟郊下第,送之謁徐州張建封也。】 孟生江海士,
   794年貞元10年 27歳  
14   謝自然詩【案:果州謝真人上昇在金泉山,貞元十年十一月十二日白晝
輕舉,郡守李堅以聞,有詔褒諭。】
果州南充縣,
15   重雲李觀疾贈之 #1 夭行失其度,
    重雲李觀疾贈之 #2  
16   古風【案:安史之後,方鎮相望於?地,大者連州十餘,小者不下三四。
兵驕則逐帥,帥強則叛上,不廷不貢。往往而是,故託〈古風〉以寓意。
觀詩意當在コ宗朝作。】
今日曷不樂,
   795年貞元11年 28歳  
17   馬厭穀 馬厭穀兮,
18   雜詩 #1 古史散左右,
    雜詩 #2  
    雜詩 #3  
19   苦寒歌【案:見《外集》。】 ?昏苦寒歌,
   796年貞元12年 29歳  
       
   797年貞元13年 30歳  
20   送?州監軍?文珍【案:董晉為?州陳留郡節度使,治?州,?文珍為監軍,
愈為觀察推官,文珍將如京師,作序并詩送之。】【案:此首從外集文??
入。】
奉使羌池靜,
   798年貞元14年 31歳  
21   天星送楊凝郎中賀正【案:凝以?部郎中為宣武軍判官,愈時與同佐董
晉幕。】
天星牢落???,
22   酔留東野 韓退之(韓愈)詩<77-#1> 昔年因讀李白杜
甫詩,
    酔留東野 韓退之(韓愈)詩<77-#2>  
23   病中贈張十八 中?得暴下,
24   答孟郊 規模背時利,
25   知音者誠希【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】 知音者誠希,
26   遠遊聯句【案:韓愈、李?、孟郊】 別腸車輪轉,
   799年貞元15年 32歳  
27   暮行河堤上 暮行河堤上,
28   此日足可惜贈張籍 #1 此日足可惜,
    此日足可惜贈張籍 #2  
    此日足可惜贈張籍 #3  
    此日足可惜贈張籍 #4  
    此日足可惜贈張籍 #5  
    此日足可惜贈張籍 #6  
    此日足可惜贈張籍 #7  
    此日足可惜贈張籍 #8  
    此日足可惜贈張籍 #9  
    此日足可惜贈張籍 #10  
    此日足可惜贈張籍 #11  
    此日足可惜贈張籍 #12  
    此日足可惜贈張籍 #13  
    此日足可惜贈張籍 #14  
29   駑驥【駑驥吟示歐陽・】【案:・與愈同第進士,愈以徐州從事朝正於
京,・時為國子鹽四門助教。】
駑駘誠齷齪,
30   嗟哉董生行 <42>" 淮水出桐柏,
    嗟哉董生行 <42>"  
    嗟哉董生行 <42>"  
31   ?州亂二首其一 ?州城門朝不
開,
32   ?州亂二首其二 母從子走者為
誰,
33   齪齪 齪齪當世士,
34   ?泗交流贈張僕射【案:建封。】 ?泗交流郡城
角,
35   忽忽 忽忽乎余未知生
之為樂也,
36   鳴雁 嗷嗷鳴雁鳴且
飛,
37   雉帶箭【案:此愈佐張僕射於徐,獵而作也。】 原頭火燒靜兀
兀,
38   從仕 居關H不足,
39   贈河陽李大夫【案:李?,河陽節度使。】【案:見《外集》。】 四海失?穴,
40   贈徐州族姪【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】 我年十八九,
41   贈張徐州莫辭酒【案:見《外集》。】【案:見《遺集》。】 莫辭酒,
    韓愈―1)古代の歴史の巻々は左右において勉学しているのでどうしても散ら
ばりがちになってしまう。『詩経』『書経』詩人の詩文を前後において私の詩作
に生かしている。これではまるで書物を食い荒すシミダニではないか
 

韓愈―2)文字と文字、書物と書物、ダニが文字の中に生きている、わたしは
受験のための書物に前後左右をはさまれ そして死んでゆくあのダニとどこが
違うのだ。
 
韓愈―3)昔の人のいうことは、まず自分を愚か者であるとするところから始ま
り、「子曰く」という言葉は、自分自身を包みまといつき束縛することばでもある
のだ。
 
韓愈―4)私の生きているいま、基本的に昔とは事情が違っている。誰となら
一緒に喜ぶことができるというのか。(教えを守りぬいて古人と喜びを享受でき
ないのか。










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漢文委員会  紀 頌之