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  韓愈の生涯  

1-7 進士及第




1-7 進士及第
 
江南へ帰ってから一年、どのような新しい希望が湧いたのか、それとも家計上の何かの問題があったのかはわからないが、披は翌貞元七年(七九一)、再び都へと上った。そしてさらに翌年、彼が二十五歳の年の進士の科に、めでたく及第することができた。
 この年の科挙の主考、すなわち試験委員長は礼部侍郎の睦費であった。彼はのちに宰相となり、陸宜公と呼ばれ、後世からは唐の名臣の一人に数えられた人物である。科拳は礼部が主管するものであり、その次官の礼部侍郎、ときには長官の礼部尚書が主考となるのが常例であった。
 主考は自分の判断により、皇帝の裁可を経て、若干名の副考を委嘱する。採点にあたっては、多数の答案を副考が分担して読み、合格圈内にあると判定した答案に、多少の意見を付して(たとえぱ、トップクラスに属するとか、合格すれすれだとか)、主考のもとへ廻す。主考は廻って来た答案を集めて読み、及落を判定し、順位をつける。だから、答案はまず副考の目にとまらなければならない。
廻って来た答案がすべて気に入らないとき、主考は副考の判定を破棄し、彼らが落第とした答案をすべて取り寄せ、自分で再審査する権限を持っているが、これを実行すると副考の面目は丸つぶれになるので、よほどのことがなければ、そこまでの手段はとらないのが通例であった。
 貞元八年の科拳では、副考の一人に梁粛という人物がいた。後年、愈が提唱した古文運動は、突然に始まったのではなく、意よりも前にその先駆をなした人々があったとするのが文学史の通説であり、その人々の一人に、梁粛が数えられる。この人が、運よく愈の答案を担当した。そこで、韓愈の答案を優秀と認め、ぜひ合格させるようにと、陸費に強く推薦した。こうして五年の苦節が認められ、愈はようやく進士に汲第したのである。同時に及第したのは、全部で二十三名であった。
 この時の試験問題は、詩賦(題を与えて詩と賦を作らせる)が「御溝新柳詩」と「明水賦」であったことだけが、わかっている。そして、愈の答案は「明水賦」だけが現存する。賦は、思いきって型を破らなければ(それでは合格はおぼつかないが)個性の出しにくい文学形式であり、愈の「明水賦」も、そのつもりで読吟ば彼らしく装飾を抑え、達意を目ざしたような感じはするものの、特に彼の個性が強烈に出ているとも思えない。梁粛が意の答案のどこに感心したのかはわからないが、「明水賦」もその一つだったとすれば、他の受験生の答案はよほど虚飾に満ちていたのであろう。
 汲第した進士たちは、主考の所へお礼のあいさつに行き、「座師」と呼んで師弟の例をとるのが慣例であった。もっとも、この慣例は宋代以後に強く固定され、官界に派閥を作る一動力ともなったが、唐代ではまだ形式的なものに止まった場合が多いように思われる。また、自分の答案を推薦してくれた副考に対しても、師弟の礼をとる。愈の場合は、梁粛。である。これも特に入門して教えを乞うわけではないが、師弟としてのつきあいは始まるのであって、愈の古文への傾斜は、梁粛によって促進され、明確化されたと考えてよかろう。
 さて、めでたく進士とはなったものの、これで役人になれると安心するわけにはゆかない。唐の科拳制度では、その上にもう一つ、試験があった。
 唐の行政官庁を尚書省という。その中が六つの「部」に分れており、この六部が、現代の日本でいえばほぼ各省に該当すると見てよかろう。さきほど書いた礼部もその一つであり、ごく大まかにいえば、文部省に該当する。ところで、六部の筆頭に位置するのか吏部であり、中央・地方を問わず、すべての官僚の人事がここで決定される。つまり、現代日本の人事院とは違って、宮僚の任免・昇進・転任・左遷を集中的に管理するための、独立の官庁が吏部なのであった。
 だから、礼部の試験である進士の科に及第したのは、高級官僚となるに十分な学問・敦養を有すると国家が公認したにとどまるのであって、実際に役人となるためには、その上で吏部に出頭し、もう一度試験に合格して、辞令をもらわなければならない。
 ここで、唐の官僚制につき、ひとわたり説明を加えておく必要がある。科挙という試験制度によって官吏を選抜するのは、唐代の(厳密にいえぱ、その前の隋からの)特徴であり、それ以前の六朝においては、官吏は推薦制によって採用された。したがって、推薦されるのは大豪族の子弟が大部分であり、ことに高級官僚及びそこへ至るための}1 7x ‐トコースは、披らに独占されてしまうので、世襲制と同じようなことになる。この習慣を打破し、官吏はすべて皇帝の名によって選抜すると定めたのが、科挙制度の起源であった。しかし、高級官僚のポストはすべて自分たちの既得権と考えていた豪族には、当然、科挙制度はおもしろくない。そして、豪族たちの不満を制圧するほどには、唐帝室の実力は強くなかった。そこで、科拳制を施行するのとひきかえに、一定の豪族の子弟に対しては試験を免除し、ただちに官吏に採用するという特例か、妥協の結果として設けられた。この特例によって任用された官吏を任子といい、これに対して、科挙を通過して官吏となった人を挙子という。
 任子と挙子とは、当然のことながら、仲が悪い。拳子から見れば、任子は先祖の七光りだけで地位を得た、くだらぬ連中ということになる。任子にすれぱ、拳子はどこの馬の骨か知れない奴らが、たまたま試験に通ったというだけで秀才づらをするが、宮廷の礼儀作法も習っていないと、馬鹿にする。やがて両者は官界の二大派閥として、大げさにいえば血みどろの抗争をくりかえすようになるのだが、それが本格化するのは、愈の晩年のころからであった。
 任子と挙子は、このように仲が悪いため、同じ官庁に勤務させると、とかく問題を起しやすい。そこで、自然にそれぞれ一つの官庁に集まって縄張りとする傾向が生じ、吏部は任子の、礼部は挙子の牙城となった。つまり官吏の人事権は任子が握ったわけで、唐の中期になっても、彼らの勢力の大きかったことが知られよう。
 そこで、受験生としては、礼部で施行される進士の科には、此較的好意ある処遇を受けることができた。ほとんどが挙子である礼部の役人たちにとって、受験生は後輩であり、自分たちの後を継ぐべき人々だからである。しかし、そこを通って吏部へ行けば、事情は一変する。吏部の役人たちは、進士の科ぐらいで才能がわかるものか、最終的にはこちらの目で判断するので、気に入らないやつは落第させてやると、手ぐすね引いているのであった。


29 《讀巻03-12 答崔立之書 -(1)§1-1》韓愈(韓退之)ID 798年貞元14年 31歳<1255> U 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5259
§1
斯立足下:仆見險不能止,動不得時,顛頓狼狽,失其所操持,困不知變,以至辱於再三,君子小人之所憫笑,天下之所背而馳者也。足下猶複以為可教,貶損道コ,乃至手筆以問之,?援古昔,辭義高遠,且進且勸,足下之於故舊之道得矣。雖仆亦固望於吾子,不敢望於他人者耳。然尚有似不相曉者,非故欲發餘乎?不然,何子之不以丈夫期我也?不能默默,聊複自明。

§2
仆始年十六七時,未知人事,讀聖人之書,以為人之仕者,皆為人耳,非有利乎己也。及年二十時,苦家貧,衣食不足,謀於所親,然後知仕之不唯為人耳。及來京師,見有舉進士者,人多貴之,仆誠樂之,就求其術,或出禮部所試賦詩策等以相示,仆以為可無學而能,因詣州縣求舉。有司者好惡出於其心,四舉而後有成,亦未即得仕。
§3
聞吏部有以博學宏詞選者,人尤謂之才,且得美仕,就求其術,或出所試文章,亦禮部之類,私怪其故,然猶樂其名,因又詣州府求舉,凡二試於吏部,一既得之,而又黜於中書,雖不得仕,人或謂之能焉。退因自取所試讀之,乃類於俳優者之辭,顏忸怩而心不寧者數月。既已為之,則欲有所成就,《書》所謂恥過作非者也。因複求舉,亦無幸焉,乃複自疑,以為所試與得之者,不同其程度,及得觀之,餘亦無甚愧焉。
§4
夫所謂博學者,豈今之所謂者乎?夫所謂宏詞者,豈今之所謂者乎?誠使古之豪傑之士,若屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄之徒,進於是選,必知其懷慚?乃不自進而已耳。設使與夫今之善進取者,競於蒙昧之中,仆必知其辱焉。然彼五子者,且使生於今之世,其道雖不顯於天下,其自負何如哉!肯與夫鬥?者決得失於一夫之目,而為之憂樂哉!
§5
故凡仆之汲汲於進者,其小得蓋欲以具裘葛、養窮孤,其大得蓋欲以同吾之所樂於人耳,其他可否,自計已熟,誠不待人而後知。今足下乃複比之獻玉者,以為必俟工人之剖,然後見知於天下,雖兩?足不為病,且無使者再克。誠足下相勉之意厚也,然仕進者,豈舍此而無門哉?足下謂我必待是而後進者,尤非相悉之辭也。仆之玉固未?獻,而足固未??,足下無為為我戚戚也。
§6
方今天下風俗尚有未及於古者,邊境尚有被甲執兵者,主上不得怡,而宰相以為憂。仆雖不賢,亦且潛究其得失,致之乎吾相,薦之乎吾君,上希卿大夫之位,下猶取一障而乘之。若都不可得,猶將耕於ェ間之野,釣於寂寞之濱,求國家之遺事,考賢人哲士之終始,作唐之一經,垂之於無窮,誅奸諛於既死,發潛コ之幽光。二者將必有一可。足下以為仆之玉凡幾獻,而足凡幾?也,又所謂者果誰哉?再克之刑信如何也?士固信於知己,微足下無以發吾之狂言。愈再拜。
§2-1
仆 始めて年十六七の時,未だ人事を知らず。
聖人の書を讀んで,以為【おもえ】らくは人の仕える者は,皆 人の為にするのみ,己に利有るに非ずと。
年二十の時に及び,家貧しゅうして苦み、衣食足らざるに,所親に謀る。

然る後 仕えの之不唯だ人の為のみにならざるを知る。
§2-2
京師に來るに及んで,進士に舉げられる者有れば,人多く之を貴ぶを見て,仆は誠に之を樂【ねが】う。
就いて其の術を求めれば,或いは禮部の試みる所の賦詩策等を出して以て相い示す。
仆は以為【おもえ】らく學ぶ無くして能くす可しと。
因って州縣に詣【いた】って舉げられんことを求む。
有司の者 好惡【こうお】其の心に出でて,四たび舉られて後に成る有りしも,亦た未だ即ち仕うるを得ず。
§3-1
夫の所謂る博學の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?
夫の所謂る宏詞の者は,豈に今の謂う所の者ならんや?
誠に古えの豪傑の士,屈原、孟軻、司馬遷、相如、揚雄も徒の若きをして,是の選に進ま使めば,必ず知其の慚を懷かんや?
乃ち自ら進まざるを已のみ。
-2
設し夫の今の善く進取する者と,蒙昧の中に競は使めば,仆 必ず其の辱めらるるを知る。
然れども、彼の五子の者,且りに今の世に於て生れ使む,
其の道 天下に於て顯れずと雖も,其の自負 何如んぞ哉!
肯て夫の鬥?の者と得失を於一夫の目に決して,而して之が憂樂を為さんや哉!

《外集? 卷2-2上考功崔虞部書》
上考功崔虞部書
愈不肖,行能誠無可取,行已頗僻,與時俗異態,抱愚守迷,固不識仕進之門。
乃與群士爭名競得失,行人之所甚鄙,求人之所甚利,其為不可,雖童昏實知
之。如執事者,不以是為念,援之幽窮之中,推之高顯之上。是知其人之或可,
而不知其人之莫可也;知其人之或可,而不知其時之莫可也。既以自咎,又歎
執事者所守異於人人,廢耳任目,華實不兼,故有所進,故有所退。且執事始
考文之明日,浮囂之徒已相與稱曰:「某得矣,某得矣。」問其所從來,必言
其有自一日之間,九變其?。凡進士之應此選者,三十有二人,其所不言者,
數人而已,而愈在焉。及執事既上名之後,三人之中,其二人者,固所傳聞矣。
華實兼者也,果竟得之,而又升焉。其一人者,則莫之聞矣。實與華違,行與
時乖,果竟退之。如是則可見時之所與者,時之所不與者之相遠矣。然愚之所
守,竟非偶然,故不可變。凡在京師,八九年矣,足不跡公卿之門,名不譽於
大夫士之口。始者謬為今相國所第,此時惟念以為得失固有天命,不在趨時,
而偃仰一室,嘯歌古人。今則複疑矣。未知夫天竟如何,命竟如何?由人乎哉,
不由人乎哉?欲事幹謁,則患不能小書,困於投刺;欲學為佞,則患言訥詞直,
卒事不成,徒使其躬?焉而不終日。是以勞思長懷,中夜起坐,度時揣己,廢
然而返。雖欲從之,末由也已。又常念古之人日已進,今之人日已退。夫古之
人四十而仕,其行道為學,既已大成,而又之死不倦,故其事業功コ,老而益
光。故《詩》曰:「雖無老成人,尚有典刑。」言老成之可尚也。又曰:「樂
隻君子,コ音不已。」謂死而不亡也。夫今之人,務利而遺道,其學其問,以
之取名致官而已。得一名,獲一位,則棄其業而役役於持權者之門,故其事業
功コ日以忘,月以削,老而益昏,死而遂亡。愈今二十有六矣,距古人始仕之
年尚十四年,豈為?哉?行之以不息,要之以至死,不有得於今,必有得於古;
不有得於身,必有得於後。用此自遣,且以為知己者之報,執事以為何如哉?
其信然否也?今所病者,在於窮約,無?屋賃仆之資,無?袍糲食之給。驅馬
出門,不知所之,斯道未喪,天命不欺,豈遂殆哉,豈遂困哉?

竊惟執事之於愈也,無師友之交,無久故之事,無顏色言語之情。卒然振而發
之者,必有以見知爾。故盡暴其所誌,不敢以默。又懼執事多在省,非公事不
敢以至,是則拜見之不可期,獲侍之無時也。是以進其?如此。庶執事察之也。



送齊r下第序
古之所謂公無私者,其取舍進退無擇於親疏遠邇,惟其宜可焉。其下之視上也,
亦惟視其舉黜之當否,不以親疏遠邇疑乎其上之人。故上之人行誌擇誼,坦乎
其無憂於下也;下之人克己慎行,確乎其無惑於上也。是故為君不勞,而為臣
甚易:見一善焉,可得詳而舉也;見一不善焉,可得明而去也。及道之衰,上
下交疑,於是乎舉仇、舉子之事,載之傳中而稱美之,而謂之忠。見一善焉,
若親與邇,不敢舉也;見一不善焉,若疏與遠,不敢去也。?之所同好焉,矯
而黜之乃公也;?之所同惡焉,激而舉之乃忠也。於是乎有違心之行,有怫誌
之言,有?愧之名。若然者,俗所謂良有司也。膚受之訴不行於君,巧言之誣
不起於人矣。烏?!今之君天下者,不亦勞乎!為有司者,不亦難乎!為人向
道者,不亦勤乎!是故端居而念焉,非君人者之過也;則曰有司焉,則非有司
之過也;則曰今舉天下人焉,則非今舉天下人之過也。蓋其漸有因,其本有根,
生於私其親,成於私其身。以己之不直,而謂人皆然。其植之也固久,其除之
也實難,非百年必世,不可得而化也,非知命不惑,不可得而改也。已矣乎,
其終能複古乎!

若高陽齊生者,其起予者乎?齊生之兄,為時名相,出藩於南,朝之碩臣皆其
舊交。並生舉進士,有司用是連枉齊生,齊生不以雲,乃曰:「我之未至也,
有司其枉我哉?我將利吾器而俟其時耳。」抱負其業,東歸於家。吾觀於人,
有不得誌則非其上者?矣,亦莫計其身之短長也。若齊生者,既至矣,而曰
「我未也」,不以閔於有司,其不亦鮮乎哉!吾用是知齊生後日誠良有司也,
能複古者也,公無私者也,知命不惑者也。


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